2009年8月28日金曜日

上杉鷹山に学べ 4

「施して浪費するなかれ」

③で記したような人事で行政改革に着手した鷹山は、同時に財政の立て直しのために、産業改革にも取り組んでいた。
 ポイントは二つ、「領地に荒れ地を残さないこと」「民の中に怠け者を許さないこと」である。そして奥向き費用(自らの給与/生活費)は再び50両の削減を行い、浮かせたお金を産業推進のために充てた。
 若き藩主は、
「わずかな資金でも長い間続けるならば巨額に達する」と言い、他界するまで50年間やり通した。(逆の言い方をすれば、今の政治のように無駄金を使い続ければ、長い期間には巨額に達するのである)

 鷹山の倹約はケチではない。
 「施して浪費するなかれ」(財政立て直しに必要なところには投資し無駄遣いはしない)に徹していたのである。

 そして社会と道徳の改革も行った。
 東洋思想の美点の一つは、経済と道徳を分けない考え方にある。
 「賢者は木を考えて実を得る
  小人は実を考えて実を得ない」
 武士も農夫も共に従わなければならない「人の道」に導いた。

 こうして枚挙にいとまが無い多くの努力を繰り返し、国を再生していったのである。

 あと数日で衆議院選挙の投票日を迎える。
 代議(国民の代理として)を選ぶ日であるが、選ばれた人は代議ではなく代党となって、民の声が届かなくなってしまう。

 その中でも少しでも将来に希望を持てる国にするために、誰かを選ばなければならない。
 その基準に鷹山の取り組んだ改革が参考になれば良い。

 最後に鷹山の家庭観を記しておこう。
 「自己を修める者にして
  はじめて家を治め
  家を整える者にして
  はじめて国を統治できる」


(この項は内村鑑三著「代表的日本人/英文」を和訳した鈴木範久の原稿を出版した岩波文庫から引用・参照しています)

2009年8月26日水曜日

前の衆議院選挙で自民党は勝っていない

 前の衆議院選挙で自民党は大勝したといい、その後二院制を否定するかのごとき行動をとり続けたが、この選挙で自民党は勝っていない。
 勝ったのは「自民党をつぶす」と言った小泉純一郎である。
 その「自民党をつぶす」という言葉に、新たな資本主義政権の出現を期待した有権者が投票したのであり、あの得票数は「自民党よさようなら」という国民の意思表示であった。

 しかし、その小泉純一郎も任期を全うすること無く首相の座を下り、続く阿部や福田など短期で投げ出す首相が続いて、国民は無責任と言った。そしてバカな輩は、もう一度小泉を!と言い出した。小泉なら選挙に勝てると思い込んでいる。
 自民党をぶっ壊すことをうたいあげて集票した人物を自民党の顔にすれば自民党が勝てると短絡に考える者をバカといってなにが悪いのか?

 無責任宰相のトップは小泉なのである。
 自民党をぶっ壊し、新たな資本主義政権の出現を期待した国民の期待を裏切って何の責任も感じていない。
 
 今年の前半は「バカ」がブームだった。
 テレビの高視聴率番組は「バカ」を寄せ集め、その「バカさ」に冷笑した。
 その代表がヒョットコ首相だった。

 ヒョットコが表舞台から去ると同時に「バカ」ブームは消えるだろう。
 やはり人間の魅力は、
 聡明な頭脳と相手を思いやる優しさだからだ。

上杉鷹山に学べ 3

(上杉鷹山に学べ 2の続きです)

 善政を行うには優秀な人が必要である。官僚の渡りを禁止したり規律をきつくすると優秀な人材が集まらないという輩がいるが、こうした目的を餌として集まる人材は、何に対して優秀なのか理解に苦しむ。
 鷹山は優秀な人材をどのようにして集めたのか、以下に記す。


 適材適所なくして善政は布けない。
 能力のある人材に対しては、乏しい財政から惜しみなく手当を支給した。
 その立場は3つあり、ひとつは郡奉行(地方自治体の首長)であり、彼らに対して次のように指図した。
 「赤ん坊は自分の知識を持ち合わせていない
  しかし母親は子の要求をくみとって世話をする
  それは真心があるからである
  真心は慈愛を生む
  慈愛は知識を生む
  真心さえあれば不可能なものは無い

  役人は民に対して母のように接しなければならない
  民を慈しむ心があなたにあるならば
  才能の不足を心配することはない」

 今でいう学歴よりも人間性で優秀か否かを見極めたのである。

 第二の役目は教導出役(民を教育する立場)であった。
 彼らには、
 「地蔵の慈悲を持ち
  心には不動の正義を忘れるな」

 教育の無い民を治めるのは手間がかかり効果もあがらないと言って、すべての人々に「生命と温かい血を通わせた。
 だが教育も規律を欠ければ効果が上がらない。

 そこでみっつ目の役目は廻村横目(警察制度)を制定。
 「警察である廻村横目は
  閻魔の正義、義憤を示し
  心には地蔵の慈悲を失うな」
と指示した。

 この制度は5年間、何の妨害も受けること無く機能し、領地には秩序が現れはじめ、絶望視されていた社会にも回復の希望が蘇ってきた。
 しかし、
そこへ最も手痛い試練が訪れた。
 保守派が台頭してきたのだ。旧態にそのまましがみつく人たちで、改革にはどんな形でも反対する連中である(現代の官僚たちと酷似している)。

 彼らは若き藩主に詰め寄り、新体制の即時撤回を求めた。
 しかし鷹山は彼らには答えず、その判断を領民に求めた(現代でいう選挙に問うのと同じ)。
 民の声は改革を求めていた。
 鷹山の腹は決まり、反対する重臣7名を呼び言い渡した。

 5人は所領の半分を没収し無期閉門(給与を半額にして自宅待機)、首謀者の二人は武士の作法に従って切腹を言い渡した。

 こうして保守派と不平派は一掃され、藩政は大きく好転しはじめた。

 続く

(この項は内村鑑三著「代表的日本人/英文」を和訳した鈴木範久の原稿を出版した岩波文庫から引用・参照しています)
 

2009年8月25日火曜日

上杉鷹山に学べ 2

 (上杉鷹山に学べ 1 の続き)

 17歳で九州の秋月家から上杉家に養子に入った鷹山は、破綻している財政の立て直しのために一生を費やした。
 権力者とその子弟たちが特権階級に甘んじ、その結果部下や領民に対する義務も、自分に力と富が与えられている訳も忘れてしまっている時代である。(今と全く同じといえる)

 人間は変革に対しておのずと抵抗するものである。しかし若き鷹山は変革を成し遂げなければならなかった。それ以外、領民を救済することは不可能であった。
 (すぐに増税を考えるのは鈍らな治世者である)
 しかし変革は他人を待つのではなく、まず自分から始めなければならない。
 財政は最初に解決を迫られる問題であった。
 少しでも秩序と信頼を回復するのは極度の倹約しかない。

 藩主自ら家計の支出を1050両から209両に切り詰めた。(給与を約5分の1にした)
 奥女中も50人から9人にして、食事は一汁一菜にした。
 家来たちも倹約をしなければならないが、鷹山自身とは比較にならない程度の倹約であった。
 家来(官僚)の手当(給与)も半分に減らし、実現した余剰金は積もり積もった負債(国債)の返済に回していった。

 この状態を16年続けることによって、負債の返済を終わらせた。時に鷹山33歳である。
 しかしこれは、まだ財政改革の消極的な面に過ぎない。
 「領民の幸福は治者の幸福である」
 「統治を間違えておきながら領民に富を期待するのは
  キュウリのツルから茄子の実を期待するのに等しい」
と、領民の財政が豊かになるよう着手した。

続く

(この項は内村鑑三著「代表的日本人/英文」を和訳した鈴木範久の原稿を出版した岩波文庫から引用・参照しています)

2009年8月24日月曜日

犯人は学校

 また名古屋でいじめを苦にして中学生が自殺した。
 灯油を被っての焼身自殺である。
 遺書から、いじめを苦にしての自殺であることがわかった。

 しかし、学校は記者会見で、
「いじめを受けていたという事実は現段階では把握していない」と発言した。
しかし昨年11月頃、少年の母親から相談を受けた学校は調査した結果、嫌がらせを受けていたことを把握している。

 毎回いじめで子どもが死ぬ度に、学校は責任逃れのために場当たり的な嘘をいう。

 今回の記者会見での発言には、ふたつの「教師の資質に欠ける」部分がある。
 まず、「把握していない」というのが正しかったら、学校における監督責任を追求しなければならない。
 学校は校門で世間と仕切られ、保護者ですらも勝手に立ち入ることはできない。
 そうした状況下でありながら、なぜ子どもを学校に預けているのかといえば、教師が責任を持って監督・保護を行うと信じているからだ。

 その保護者の信頼を裏切って平気な言葉が「把握していない」。
 ならどんな目で、校内を管理しているんだ!

 昨年嫌がらせを受けていたことを知りながら「いじめの事実は把握していない」と発言するのは、いじめた学生に対し「君たちの行為はいじめじゃないよ」と認知していることになる。
 何度も何度も、毎年毎年、学校関係者は
こうしていじめの行為者に対して「いじめじゃないよ」と認知を繰り返してきた。
 学校関係者だけでなく教育委員会も文部省も、いじめを認めないということは、その行為自体をいじめではないと認知していることになる。

 こんな繰り返しでいじめがなくなる訳が無い。
 自分さえ良ければという「事なかれ主義」が
 また幼い命を無駄にしてしまった。

 少子化対策で金をまくより、今ある命を守ることを
真摯に考え行動に移さないと、
幾ら税金使って赤ん坊を増やしても、何の意味も成さない。

 「夢のある将来」
 「希望を持って」
 若者を叱咤激励する言葉は巷に氾濫する。
 どんな言葉をかけるより、
事実を誤摩化さない大人が増えることが、若者に希望を持たせるのではないか。

 相変わらずの教育関係者の対応に
ヤジろべ〜は怒っている!!

上杉鷹山に学べ 1

 いよいよ選挙戦も終盤に突入した。
 相変わらずヒョットコは、脅威を感じる政党を批判し続けている。その言い草がフルっている。
 「あの主張はバラ撒きだ、我が党には政策がある」
 このご仁相変わらず顔を出す度に、馬鹿さをさらけ出しているようだ。
 竹下登の1億円から、つい先日の「さもしい給付金」まで、その場限りのバラ撒きしかやってこなかった自分の姿が見えていない。

 自民党、共産党、社民党、民主党etc いずれの党も、党首がしゃしゃり出るとイメージが悪くなる。特に社民党の福島は「自分こそ正義」と思い込み、他人の話を一切聞かない未熟者。
 ま、しょうがないか、彼女は弁護士出身で、弁護士って立場の人はほぼ全員が「自分は正義」と思い込んでいるんだもんネ!


 さて、日本は破綻している。
 この状況から脱却するには本当の行政改革を行う以外あり得ない。
 自民党も民主党も、二言目には「行政改革」とお題目のように口にするが、この言葉の意味が分かっていないのではないかと、疑わざるを得ない。
 信頼がおけるというか、改革を任せたいと思うのは、渡辺喜美ただひとり。
 なぜなら日本の歴史上行政改革を成功させた唯一の為政者、上杉鷹山の視点に似ているからである。

 そこで投票日までに数回に分けて、上杉鷹山の考えと行動を記していく。
 この言動と、今選挙カーから聞こえる声の内容・過去の実績を見比べれば、誰を選べばよいのか、ひとつの判断基準となるだろう。

 17歳の少年が数十年の歳月をかけて改革に取り組み成し得る足跡は、低迷する会社の改革とも十二分に通じるところがある。
 そういえば石川遼クンも17歳だな!
 17歳という多感な世代に与える刺激によって、その人の人生が輝くかくすむか、瀬戸際にあると思える。

 さて、
 以下内村鑑三の記した英文による「代表的日本人」を元に、鈴木範久が和訳し岩波文庫が出版している「代表的日本人」から抜粋引用する。


『上杉鷹山に学べ その1』

 ☆ 内村鑑三は上杉鷹山の功を例えて「治世は力でなく徳で行え」と説く
○ 私どもには進んだ政府機関があるにもかかわらず、天国におよばない点では、10世紀前の祖先の時代と少しも変わりないようにみえます。

○ .....むろん、いかなるかたちでも圧政政治はいけません。しかし投票箱のなかには、およそ圧政政治と名のつくものは全然入る余地がない、などと考えるのは軽率です。

○ 治世は制度ではなく、徳で行わなければなりません。いや、徳がありさえすれば、制度は助けになるどころか、むしろ邪魔であります。「進んだ政府機構」といいましたが、それは人を助けるためではなく、どろぼうを捕らえるためです。思うに代議政体は、一種のすすんだ警察組織です。
 悪党や泥棒はそれでうまく抑えられるが、どんなに大勢の警察をもってしても、ひとりの聖人またはひとりの英雄に代わることはできません。
  
続く