2009年7月16日木曜日

笑劇場ならぬ傷劇場

 なにひとつ笑いを提供すること無く終わった東国原喜劇。

 本業である知事の仕事は副知事に任せっぱなしで、地場産業のセールスマンに徹し、口先だけは誰かの受け売りで政治屋気取り。

 自分が座長となって幕を開けたはよいが、誰も笑ってくれないとなると、芸人師匠にゴマを擦って保護を求める。
 数多いる政治を志す人の中で、芸人を「私の師匠」と公言する者を初めて見た。

 芸人「そのまんま東」ならば、その師匠は芸人でよい。
 しかし知事という公職につきながら、窮地に立つと芸人の師匠の元に馳せ参じるのはいただけない。

 どんな偉そうなことを口にしていても、その言動は芸人の域を出ていない。
 大向こう受けを狙った日頃の言動や、コロコロ変わる態度を見ていると、
切符の売上を気にしながらフアンに媚を売る芸人となんら変わることは無い。

 その脇役を演じた自民党の選対委員長なる人物も、自らの言葉「軽薄な行動を恥じる」を聞くまでもなく、クソ真面目な顔をして観客(選挙民)からひとつの笑いをとることもできなかった。

 どんな政治環境であろうと民間に活力があって、経済が活性しているときならば、人気取りだけを目的に立候補者を決めても、国民にとってはどうでもよいことだったが、
年金等過去すべての政策が禍根を残した日本において、まだ人気取りが選挙に勝つ方法と思っているこの「バカさ」に苦笑しただけ。

 政治家になりきっていない政治屋気取りの宮崎県知事はバカを丸出しにして、全国知事会で提案したが誰も相手にしなかった。
 マスコミに登場する回数が多ければ有名知事と錯覚して、主導権を握ろうと調子に乗る。
 こうした言動を「身の程知らず」という。

 知事としての職責の上で有名になった者(例えば琵琶湖の浄化に尽力した滋賀県知事の武村氏)と、おもしろおかしくテレビに顔を出して知名度があることとは次元が違う。

 バカとは勉強ができないことを指しているのではない。
 「人の想い」が、「自分の姿」が、
見えない人をバカという。

 バカが演じる笑劇ほどつまらない喜劇はない。
 劇場から帰る観客は不愉快なモノを見せられて傷劇となる。