2009年9月9日水曜日

いやしき沈黙

 民主党はアメリカ一辺倒ではなく、近隣との友好を外交の柱にしようとしている。
 「遠くの親戚より近くの他人」というが、近隣諸国は肉体的にみて「近くの親戚」であることは間違いない。
 敗戦後64年間、日本はアメリカの占領下にあり続けてきた。
 政権交代によって、やっと独立国家を目指すことができるのだろう。外交の基本は敵対するのではなく「対等」であるべきだからだ。

 近隣諸国と仲睦まじくしてこられなかった理由は、戦争にあった。
 敗戦によって孤立化した日本の弱みに付け込んで、アメリカがチョコレートとチューインガムと一緒に「優しい言葉」を投げかけ、日本は孤立化した不安から自分を誤摩化すために、その言葉を後ろ盾にして、国際社会で存在価値を築こうと、なりふり構わずアメリカに媚を売り続けてきた。
 民主党政権の追求を待つまでもなく、「非核三原則」の誤摩化しも、知る人ぞ知る周知の事実である。これもアメリカに媚を売ってきた一つなのだ。
 この件に関して言えば一番の問題は、国民を誤摩化し、世界を誤摩化しながら、「非核三原則」に貢献したとしてノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作の存在である。

 世間を誤摩化しながら、いかにも「平和の使者」と振る舞った佐藤栄作にたいし、厚顔無恥な嘘つきとして大いなる恥を感じる。遺族はノーベル賞の返還を申し出ることが多少の罪滅ぼしといえる。

 権力者は国民を騙し、利用し続けてきたのだ。


 NHKテレビが3回にわたり、水交会(旧日本海軍の親睦団体)の反省会(戦争の原因、責任を話し合う)における記録テープを公開・検証した。
 出席者は将・佐クラスなど軍令部のトップや、その周りにいた人たちで、この反省会は131回にわたって開かれている。

 私は敗戦処理で、どうも腑に落ちないことが幾つかあった。
 それは、
 極東軍事裁判で絞首刑になったのは陸軍だけで海軍関係者が一人もいないことと、B・C級戦犯(命令に従い実行した者/A級戦犯は命令者や作戦責任者)として死刑になった人が多すぎることであった。

 その疑問がこの反省会の記録テープから明らかになった。
 そこには、
 海軍のトップが責任を陸軍に押し付けたことやその手法、前線における事件は上層部が指示していないことにするための証拠隠滅方法などが、こと細やかに証言されていた。
 またその誤摩化しを裏付ける証拠の文書も見つかっていた。
 敗戦後責任逃れを目論んだ海軍の主導部は、前線における事件はすべて当事者が勝手におこなったこと、特攻隊は命令したことはなく、すべて隊員が自発的に行ったと、否定したことが記録に残されている。

例えば、
 水戸海軍少将は捕虜の虐殺を口頭で指示したが現地の責任者が「そんな重大なことは文書がないと実行できないと拒否した。そこで渋々命令書を作成して実行させたことが軍事裁判で審理された。
 出席した水戸少将は「これは誰かの偽造である」と反論し、自らは逃れ、命令に従った兵士が死刑になった。
 「あれは水戸少将の偽証である」と裁判での作戦を担当した元大佐の証言 等々。

 私はB・C級戦犯として処刑された多くの人たち、また特攻隊員として死に赴かされた少年たち多くの、最後に残した手紙(遺書)を見ている。
 軍令部の幹部が責任を逃れ、生き残るために彼らは騙された。
 反省会に出席して過去を暴いた指導部にいた連中はみな、90前後まで生きている。

 軍関係者や政治家が靖国の森に参詣するのは、騙した若者に対する罪滅ぼしなのか。

 この反省会の記録テープで新たな事件を知った。
 中国さんとう島(香港の南側に位置する)に日本軍が航空基地をつくるとき、邪魔だと言って島民約1万8千人を虐殺したという。この事件は知らなかった。
 その現場に立ち会った大井元大佐の証言は生々しく、死臭が画面から漂う気配すら感じた。

 出席者の一人は言った、
 「なぜ日本人があそこまで残虐になれたのか
  戦争とは恐ろしい」

 「戦争の事実を語ってはいけないと
  箝口令が敷かれていた
  それを守ってきたこの半世紀の沈黙は
  いやしき沈黙であった」

 そのいやしき沈黙が破られた今、日本はアメリカの占領政策から脱却しようとしている。