2009年7月25日土曜日

バカは死ななきゃ治らないってか!

 昨日記したヒョットコが、7月25日横浜の青年商工会議所でまた性懲りも無く、アホ丸出しの発言をした。
 本人は議員懇談会で自らの発言の至らなさを詫び、おかめが同調して、共にお神楽を舞ったことを「猿芝居」と記したが、この発言を聞くとヒョットコご仁は自ら口にした「発言の至らなさ」とは何を指しているのかわからずに、誰かが書き上げた原稿を暗記して口にしただけ。

 青年商工会議所へは自民党への支援を頼みにいったらしいが、その席で、
「高齢者は働くことしか才能が無い」とのたまった。

 どうしてこうした国民を愚弄した言葉がすらすらと口から出るのだろう。
 アホと言ってしまえばそれまで。

 議員懇談会で口にも無い言葉を口にしたヒョットコに対して、同席していたオカメ連中が直ぐに追求の手を引っ込めたから、ヒョットコは「自分の発言はたいしたことはない」と罪の意識を持たないから同じことを繰り返す。
 これは以前記した「苛めがなくならない理由」と同じ構造である。

 24日深夜には「朝までテレビ」に出席した各党代表が無駄なエネルギーを使い続けた。
 あんなピンぼけな発言を繰り返すのに浪費される電気を、危険と隣り合わせに設置されている原子力発電の電力を消費されたのでは、誰がエネルギーを節約する気になるだろうか。

 自民党は過去4年間の実績を自慢するが、前回の選挙のときに国民と約束したことがどれだけ守れたかについては一切触れず、民主党のふがいなさばかり追求する。
 また民主党は、自民党や公明党が各種政策が経済の底打ちに貢献した(実際は何の意味もなしていない=下げ止めにはなっていない)と自慢していても、その費用がいかに次の世代に禍根を残すことになっているのか、追求どころか触れることもしない。

 共産党や社民党に至っては、風呂の中で屁をこいたような話ばかり。

 そして夜が明けたら、ヒョットコがまた「減らず口」。


 今夜は隅田川や立川昭和公園の花火大会。
 ヒョットコが馬鹿にする高齢者が能力を傾けて貢献してきたお陰で、
焼夷弾に輝いた同じ空で、花火が楽しめることを忘れてはならない。

あ、きっとヒョットコは高齢者に
「これ以上働くな!あとの生活は年金で面倒見る」と、言ってくれたんだな。
ヒョットコはいつも言葉が足らず誤解を招いているが、
きっとそうなんだ!

 高齢者諸君! よかったね!!

2009年7月24日金曜日

ヒョットコ

 ピ〜ヒャラ ピ〜ヒャラ
 テンツク テンツク
 おかめとヒョットコの
 お神楽の 始まりだい

 と、夏祭り真っ盛り。
 祭りは庶民の憂さ晴らしから 始まった。

 永田町ではヒョットコが、手ぬぐい冠るのを忘れて、素顔を出してひと踊り。
 ま、あの面(めん)てい見れば、お面も手ぬぐいもいらないだろう。
 よくもあれほどひょっとこ面(づら)したもんだときた。

 おかめは山形や広島出身で、手踊りには慣れていないので、今ひとつ盛り上がりには欠けるが、同じ舞台でひと踊り。
 囃子方は笛や太鼓の腕は無く、口三味線で「一致団結」と囃し立て、白々しい不協和音だけが響き渡る。

 ヒョットコとは火吹男と書く。
 自ら付けた種火を大きくするには、もってこいの人材といえる。
 吹けど踊らず...ではなかった、ヒョットコが吹けど火の手が大きく上がることはないとタカを括(くく)っていた町人は急いで消火作業にあたったが、消したと思ったらまた別の場所から煙がたち、気がつけば火の手で町が二つに分断され互いに責任のなすり付け合い。

 追い込まれたヒョットコは心にも無いことを口にして反省の体(てい)。
それを見ていた町人は「ソイヤ、ソイヤ」と囃し立て、その音頭に乗っておかめが登場!!
 そして言ってくれたネ
 「今日のヒョットコは素晴らしい」

 なんだこの猿芝居は!
 日光の猿芝居だってもっと真面目に観客の心をつかみ涙を絞る。

 猿にも劣る猿芝居を演じて、自己満足しているこのバカ面(づら)ども。

 開いた口が塞がらないとはこのことだ。

 これほど選挙民をバカにした一幕は、神代の昔まで歴史をさかのぼってもないだろう。


 一体何のための選挙を行うのか、ヒョットコに聞きたい。
 ヒョットコの言動には、仲間に対する形式的な謝罪はあっても、国民に対する謝罪は一言もなかった。

 こんなバカな政治屋集団に期待するバカがいる。
 「民主党に一度やらしてみても良いと思うけど
  できるかどうか心配だから
  やっぱり自民党を応援するわ」

 何ができるか不安なのか?
 自分たちの「地盤」「看板」を守ることができないかも知れないと言っているのか?
 バカにはバカの上をいくバカがいる。

 なんてね!
 真剣に腹を立てると、こちとらが身体を悪くするわな!

 そういえば最近ちょっと高血圧気味。
 うっかり病気にもなれないわな、たらい回しでこの世とおさらばおさらば。

 いやその方が幸せだよって、永田町のヒョットコは教えてくれているのかも知れない。



 祭り囃子が遠くに聞こえる。
 小さな子どもが山車の上で、面白おかしく振りをする。

 

2009年7月19日日曜日

我らが手本

 迷える国民に生き方を教えてくれていた国のリーダーが、まもなく去る。
 国のリーダーたる者、国民にその生き方の見本とならなければならない。

 近年稀にみる自己欲の強いリーダーが国民に教えてくれた生き方は、「反省はするな」「自己を正当化しろ」であった。
 これほど我らの倫理に反する生き方を教えてくれたリーダーが、短期で去ることは残念だ。官僚は今までの言動に輪をかけて自己を正当化し、それが正しいことを身を以て教えてくれていたリーダーが変わることに、大きな不安を抱いていることだろう。

 我々平民も、やっと自分の言動を正当化する手法を身につけ、これから様々な悪事に手をつけようと企てていた矢先、そのお手本が消えてしまうのは不安である。

 山本五十六の「男の生き方」ではなく漫画本を手にし、スラックスの裾には重しを入れてカッコばかり気にして中身は無くてもよいことを教えてくれた結果、それを手本としてカッコだけで中身が空っぽの若者が巷にあふれている。
 彼らにとっても世間的評価が変わることに不安を持ち、リーダーがそのままリーダーでいることを望んでいる。
 それを政治家として人気があると、はき違えるアホな政治屋が消えるのは残念!

 「反省」という言葉も思考もないリーダーが辞めるのは
それを手本にしたかった善良な国民にとって、これほど悲しいことは無い。
もう少し続けてくれていたなら、子殺し、親殺し、通り魔殺人、放火、強盗の蔓延した腐りきった社会の中で、「自分の正当性」が主張できたのに残念!

 いや、そんなに心配することはない、
取り締まるべき警察は万引きや痴漢、以前にはパトカーに乗って制服のまま、意にならない女性を撃ち殺しに行ったこともあった。
こうした事件はまず隠し、発覚したら「知らなかった」としらを切る。
 彼らは自らの身を挺して、国民に生き方を教えてくれている。

 使い込みが発覚した公務員も返済すればお咎めなし。盗みで捕まったら、盗んだものを返して言おう「公務員は発覚したときに返せばお咎めなしだ」と。
 こうした言い訳を教えてくれていたのだから、無駄にしては彼らに失礼だ。

 裁判官も税務署の職員も痴漢や万引きを繰り返し、国民が裁判や脱税した時の「反論」を用意してくれる。

 子どもの教育機関と勝手に思っている学校では、苛めが発覚しても苛めは無かったとコメントし、訴えている学生には素知らぬ顔。
 この「なかった」との一言で、いじめていた人は正当化される。
 「あれは苛めじゃなかったんだ」
 
 この繰り返しで苛めが正当化されて、苛めがなくなるわけがない。なんせ、その行為は苛めじゃないんだから。

 子どもの教育を自負する学校が、こうやって社会への誤摩化し方を教えてくれる。
 子どもたちは幾何学なんぞよりよほどこうした授業の方が面白いから、吸収もはやく、こうやって社会で生き残る手法を身につけてさせてくれる。
 素晴らしい学校教育、万歳だ。


 まだまだこの国は捨てたものではない。

 そういえば今のリーダーはキャンキャンよく騒ぐな
 まるでスピッツみたいだ

 犬は自信の無い臆病な小型犬ほど
 よく吠える!