2009年8月22日土曜日

なぜ不安になるのですか?

 どこの講演会でも最初に問いかけることがある。
 それは、
「みなさん不安ですか?
 なぜ不安になっているのですか?」

 すべての人が先の見えない状況に不安を抱いている。
 不安を抱くと、心に大きな隙間が生じる。
 その隙間を狙って、よからぬ輩が入り込もうとする。
 それは、
宗教団体であったり、占い師であったり、一発儲けに誘う詐欺集団であったりするのだが、政治のキャッチフレーズも、国民の不安につけ込んでその感情を煽り続ける。

 なぜ不安になるのか。
 その答えは簡単で、「今が守れなくなるかも知れない」と思うからだ。
 乗っている車、勤めている会社、家族の笑顔....それらを失うかも知れないと思うから不安になる。

 なくなればまた一からやり直せばよいと開き直ったとき、不安はなくなる。
 どんなモノでも元々はなかった。
 すべてをなくしたとしても、それ以上なくなるモノはない。
 守ろうとする意思が、すべてをダメにしてしまう。

 無くすのが怖いって?
 日本は過去、すべてをなくした時があった。
 64年前の8月15日だ。
 すべてのものがなくなり焼け野原に立った人たちは、今よりももっと明るい顔をしていた。
なまじっか幾ばくかのモノをもった時点で笑顔が消えたのだ。

 守ろうとしなければ、騙されることもない。
 不安がなくなれば、
言葉の、表情の、文章の、
真実が見えてくる。

 何よりも、
笑顔が戻ってくる。
笑顔はマイナスの要因を寄せ付けない最高の鎧となって、
身を守ってくれる。

 不安顔の人は騙しやすいが、笑顔でいる人を騙すことはできない。

 自分を守るため、不安をなくそう。
 大いなる希望を持って開き直ろう。
 それは、
「今」を守る考えを捨てることによって、誰にでもできる。

 不安がなくなると笑顔が戻る
 どんな人でも笑顔は素晴らしい

 素晴らしい笑顔で、日本を埋め尽くそう

 「嘘で固めた選挙公約」は立ち入る隙がなくなってしまう 

2009年8月21日金曜日

真面目さはいらないのか

 巷では弱小企業の後継者不足が大きな問題となっている。
 ある日テレビで事業を引き継いだ2代目を特集していた。
 彼は親父との会話を思い出しながら話しだした。
 「事業がうまくいかなくなったとき
  冗談まじりに親父に言ったんです
  宝くじでも当たれば窮地を脱せるのにね」
 「親父は血相変えて言いました」
 「事業の運営にばくちを口にするのは
  もってのほか」

 番組がきれてコマーシャルになった。
 画面には俳優とお笑いタレントが大写しになり
 宝くじの宣伝が始まった。

 テレビのコマーシャルを見ていると、FXなどゼロサムゲームへの誘いやパチンコや宝くじ、競馬や競輪、競艇、そして銀行系高利金融の宣伝が大勢を占める。
 こんな国が他にあったら教えて欲しい。

 バクチを公認しているアメリカですら、バクチの広告は規制されている。
 「公共の電波」と言われる放送で、
 宝くじなどあてにせず真面目に働けと諌めた番組のスポンサーは、宝くじ。

バクチを奨励していると思わざるを得ない国の国民が、
真面目さは「カッコ悪い」と思うようになり、短絡的に自己の欲望を追求するようになっても当然の報いと言えるだろう。

この国の病原菌は根が深い。

 時代遅れといわれても
 この言葉が好きだ

 「耕して天に至る」

外国語を多用する場合

 日本の言葉は種類の多さで抜きん出ている。
 これは直接的な言い方だけでなく、インを含んだ気持ちを表現できる世界にも類を見ない言語と言える。
 その素晴らしい文化を持つ日本の官庁が公表する文書に、英単語が多用されるようになって久しい。
 
 中国に住む20年来の友人(女性)が寄せる手紙は、日本人以上に日本語の基本に則り、きれいな日本語を、きれいな文字で書いてくる。彼女は30代半ば、日本に留学したことは無い。

 それに反して、日本で生まれ育ち、日本の高等教育を受けてきたであろう官僚たちは、なぜ公用文書にまで外国語を多用するのだろうか。
 60数年アメリカの占領下に等しい状況が続いているからではない。
 そこには「誤摩化し」があるからなのだ。

 言葉の解釈に幾通りもあったのでは、その言葉は信頼されない。
 しかし国の骨幹に関わる問題が表面化すると、為政者は憲法の解釈ですら、「文言で表記されている以外」の捉え方をして自らを正当化(憲法違反ではない)してきた。
 自国語(公用語である日本語)ですら、勝手に解釈をかえてしまうのだ。

 いや
 勝手に解釈を変えているというのは、間違いかも知れない。ならば言い換えよう。官庁には国民が使っている国語辞書とは別の辞書「官庁辞書」があって、それに基づいて解釈しているのだと。
 とすれば、義務教育で行っている国語の勉強は、国が率先して国民に嘘を教えていることになる。

 そうした国の官僚が外国語を挟みこんで声明をだしたり、公式文書を作成するのは、その部分(外国語表記)を国民に知られたくない、すなわち追求された時にどうでも解釈できる言葉を選んでいる。
 言葉の少ない英単語ですら、ひとつの単語で幾つかの意味をもつ場合があるから、国民を誤摩化すには持ってこいの言葉になるのだろう。

 最近やたら耳にするのはマニフェスト。
 日本語で話す日本人が、日本の政治に関わってもらいたい。


2009年8月19日水曜日

井戸塀政治家

 意味も無く、満面笑みを浮かべたポスターが躍る。
 衆議院選挙の立候補者だ。
 今、笑っていられるトキなのか?

 『お願いします」と繰り返す騒音が扉の隙間から部屋に侵入する。
 お願いしたいのは国民のほうだ。


 30数年前韓国ロビーストとして著名な参議院議員がいた。
 議員になる前は産經新聞の政治記者だった。
 記者時代は杉並区和田にある平屋の小さな都営住宅の住民だった。
 ひとり娘はバレリーナで、親交があった。

 その娘からホームパーティへの誘いがあった。
 二期目に入った議員の住まいは、武蔵野・御殿山の高級住宅に移っていた。
 アメリカやイギリスのバレー関係者も参加しているパーティの途中でその娘が声をかけた。

「みなさん庭に出て下さい
 スワンの形をしたシュークリームが飾られていますから
 お好きなものをお食べ下さい
 その中のふたつには
 ダイヤモンドが隠してあります
 注意して食べて下さい」

 これを機会に、この家族の誘いは一切断っている。


 昔は資産家や有力者が政治家になった。
 しかし辞める時には「井戸と塀」しか残っていないと言われた。
 清廉潔白な人物が私財を投げ打って国のために尽くしたのである。

 今は県営住宅から立候補し、引退する時には大御殿に暮らしている。
 これも「金とモノ」にしか価値観を持たなくなった結果なのか。

 どんなに時代が変わろうとも、
小生が憧れ尊敬してやまない政治家は、田中正造(後日記す)ただひとりだ。



 自民党は安全保障の問題とそれに関わるアメリカとの関係を論点としょうとしている。
 ここでもいつものテーマを投げかけよう。
 「忘れることによって失敗は繰り返される」と。
 義和団事件で追求の中心的人物であった、イギリスの総督の日記に残されている。

 「我々が庇護する国が危機にみまわれたならば
  我々は自分の利益を優先する」



 人は自分の目でしか、世の中をみない
 幾つもの目で世の中を見ることのできる人に
 日本の未来を託したい
 

2009年8月16日日曜日

戦後処理は終わっていない

 64回目の敗戦日を迎えた。
 戦争従軍者や戦争体験者は、総人口の24%となった。
 「もはや戦後ではなくなった」と、時の総理が口にしてから30数年が経ち、平和の尊さがわからない世代が街に踊り、政治屋は危機を煽って再軍備を訴えだすように、日本は様変わりをした。

 五・一五事件の首謀者のひとりである三上卓は、蜂起に至る世相を嘆いて、
 『権門上に おごれども
  国を憂う 誠なし
  財閥富を 誇れども
  社しょくを思う 心なし
  

  ああ 人栄え 国亡ぶ
  めしいたる(目の見えない)民 世に躍る
  治乱興亡 夢ににて
  世は一局の 碁なりけり』
と歌に記した。
 今、全く同じ世相を呈している。
 これは国が存亡の危機に直面していることである。
   なぜ日本人は体験学習が下手なのだろうか。


 いつまでも何かにこだわっていると「しつっこい」とか「蛇みたいな性格」と言われるが、だからこそ「体験」が「学習」となる。
 「まあまあ」と山間部落で生き延びる術が、経験したことから目を背け「忘れる努力」に努めた結果、再び同じ過ちを繰り返すことになっている。
 それが日本という不思議な国。

 日本がこの64年間避けてきた問題に正面から取り組んだ時、「日本の戦後処理は終わった」と言えるだろう。
 終焉は時間の経過ではなく、自ら過去を認めることによる。


 64年間避けてきた問題とは、日本人による戦争責任の総括である。

 総括は
① 侵略の責任と国民を死に追いやった(300万人強)責任
② 軍部に脅され国民を騙し通した新聞などマスコミの責任
③ 戦争に加担した官僚の責任
④ 戦争という時流にのってそれを煽った国民の責任
になる。

①の侵略については某かの理由をつけて正当化する輩がいるが、
あなたの家に、あなたが招くことなく人が押し入ったら、「不法侵入罪」として訴えるだろう。国家間も同じで、どんな経緯があろうとも相手国が招かないのに武器を持って乗り込めば「不法侵入」、すなわち侵略である。

②マスコミの責任について、
敗戦後幾つかの新聞は社説で小さく、その非を詫びている。しかし今振り返ればその社説は「形式的」なものであって、決して自らの非を認めていたのではないことがわかる。
なぜならば今まさに、マスコミは当時と同じ過ちを繰り返している。
国民をバブルに煽り、景気が底をついたと嘘の報道を繰り返すことによって就職浪人を増やし、国の骨幹を危うくしながら、その責任を自らに問うことはない。

③戦争に加担した官僚の責任で一番大きいのは文部省である。
文部省は小学生に対して戦争を美化した教育を行い、中学生になると軍事教練を行う等、国民を戦争へ煽った責任がある。
 今学校教育で近代史を詳しく教えないのは、この部分に触れると自らの責任が問われることを恐れているからだ。
 その結果、正しい自国の歴史を知らない若者が増え、戦争を阻止しようとする力が失せてきている一因となっていることは否定できない。
 外国へいけばわかるが、自国の近代史を知らないことに疑問を持っていない若者は、日本だけなのだ。

④国民の知識不足が戦争を煽る力に同調する結果を招いた。
自分が勝者であり続けることはあり得ないことや、敗者の苦しみを理解しようとしなかったことが原因と言える。

 満州へ出向いた開拓団が現地の中国人に発した言葉は「おい」「こら」「ばか」の3つの言葉だといわれている。 
 開拓団の人たちはボキャブラリィがなかったのではなく、彼らが日本にいるときにかけられた言葉が、この3つだったのだ。
 開拓団に参加した人たちは、小作人や日本で生計を立てられない人たちだった。
 彼らが日本にいるときに、地主からかけられた言葉、それは「おい」「こら」「ばか」の言葉しかない。
 彼らは他人にかける言葉はこのみっつだと思っていたのだろう。
 その点では「体験学習」していたといえる。

 数日前「終戦」ではなく「敗戦」だと、正しく歴史を認識することを記した。
 敗戦だと認識することによって、戦後処理を終わらせる行動が始まる。
 
 戦争を反省するとは、今を反省することである。

 三上卓の歌は10番まで続き、次の節で終わっている(行動に移った)
 『やめよ離騒の 一悲曲
  悲歌慷概の 日は去りぬ
  われらが剣 今こそは
  廓清の血に 躍るかな』