灯油を被っての焼身自殺である。
遺書から、いじめを苦にしての自殺であることがわかった。
しかし、学校は記者会見で、
「いじめを受けていたという事実は現段階では把握していない」と発言した。
しかし昨年11月頃、少年の母親から相談を受けた学校は調査した結果、嫌がらせを受けていたことを把握している。
毎回いじめで子どもが死ぬ度に、学校は責任逃れのために場当たり的な嘘をいう。
今回の記者会見での発言には、ふたつの「教師の資質に欠ける」部分がある。
まず、「把握していない」というのが正しかったら、学校における監督責任を追求しなければならない。
学校は校門で世間と仕切られ、保護者ですらも勝手に立ち入ることはできない。
そうした状況下でありながら、なぜ子どもを学校に預けているのかといえば、教師が責任を持って監督・保護を行うと信じているからだ。
その保護者の信頼を裏切って平気な言葉が「把握していない」。
ならどんな目で、校内を管理しているんだ!
昨年嫌がらせを受けていたことを知りながら「いじめの事実は把握していない」と発言するのは、いじめた学生に対し「君たちの行為はいじめじゃないよ」と認知していることになる。
何度も何度も、毎年毎年、学校関係者は
こうしていじめの行為者に対して「いじめじゃないよ」と認知を繰り返してきた。
学校関係者だけでなく教育委員会も文部省も、いじめを認めないということは、その行為自体をいじめではないと認知していることになる。
こんな繰り返しでいじめがなくなる訳が無い。
自分さえ良ければという「事なかれ主義」が
また幼い命を無駄にしてしまった。
少子化対策で金をまくより、今ある命を守ることを
真摯に考え行動に移さないと、
幾ら税金使って赤ん坊を増やしても、何の意味も成さない。
「夢のある将来」
「希望を持って」
若者を叱咤激励する言葉は巷に氾濫する。
どんな言葉をかけるより、
事実を誤摩化さない大人が増えることが、若者に希望を持たせるのではないか。
相変わらずの教育関係者の対応に
ヤジろべ〜は怒っている!!
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