2009年8月24日月曜日

犯人は学校

 また名古屋でいじめを苦にして中学生が自殺した。
 灯油を被っての焼身自殺である。
 遺書から、いじめを苦にしての自殺であることがわかった。

 しかし、学校は記者会見で、
「いじめを受けていたという事実は現段階では把握していない」と発言した。
しかし昨年11月頃、少年の母親から相談を受けた学校は調査した結果、嫌がらせを受けていたことを把握している。

 毎回いじめで子どもが死ぬ度に、学校は責任逃れのために場当たり的な嘘をいう。

 今回の記者会見での発言には、ふたつの「教師の資質に欠ける」部分がある。
 まず、「把握していない」というのが正しかったら、学校における監督責任を追求しなければならない。
 学校は校門で世間と仕切られ、保護者ですらも勝手に立ち入ることはできない。
 そうした状況下でありながら、なぜ子どもを学校に預けているのかといえば、教師が責任を持って監督・保護を行うと信じているからだ。

 その保護者の信頼を裏切って平気な言葉が「把握していない」。
 ならどんな目で、校内を管理しているんだ!

 昨年嫌がらせを受けていたことを知りながら「いじめの事実は把握していない」と発言するのは、いじめた学生に対し「君たちの行為はいじめじゃないよ」と認知していることになる。
 何度も何度も、毎年毎年、学校関係者は
こうしていじめの行為者に対して「いじめじゃないよ」と認知を繰り返してきた。
 学校関係者だけでなく教育委員会も文部省も、いじめを認めないということは、その行為自体をいじめではないと認知していることになる。

 こんな繰り返しでいじめがなくなる訳が無い。
 自分さえ良ければという「事なかれ主義」が
 また幼い命を無駄にしてしまった。

 少子化対策で金をまくより、今ある命を守ることを
真摯に考え行動に移さないと、
幾ら税金使って赤ん坊を増やしても、何の意味も成さない。

 「夢のある将来」
 「希望を持って」
 若者を叱咤激励する言葉は巷に氾濫する。
 どんな言葉をかけるより、
事実を誤摩化さない大人が増えることが、若者に希望を持たせるのではないか。

 相変わらずの教育関係者の対応に
ヤジろべ〜は怒っている!!

0 件のコメント: