ことの是非はさておいて、政治が変わろうとしていることは実感する。しかし予算の削減もほどほどにして増税を口にするのは努力が足りない。
そのやり玉にあがったのがタバコである。
元々タバコには税金がかけられていなかった。しかし明治政府は日清戦争の戦費を捻出するためにタバコや味噌など、庶民の嗜好品に課税したのである。
タバコ税は今で言う期限立法として、戦費調達を目的としたのである。
しかし日清戦争が終結しても課税は廃止することなく、まもなく始まった日露戦争の軍事費としてその税は課税され続けた。
今でもそうだが、一度国会を通ってしまえば後は知らぬ間に期限延長を繰り返し、期限切れを理由に課税が廃止されたことはないが、タバコ税に関しても同じように意味もなく課税され続け、課税されて当然のような意識すら生まれてしまってきた。
ことあるごとにタバコと酒は増税の対象として取りざたされるが、この2品目は似ているようで実は顧客が相反する立場にいる。
酒は貧乏人も金持ちも好むが、貧乏人と金持ちとは飲酒する種類が明確にわかれている。しかしタバコは金持ちと貧乏人との品に大幅な格差はなく、喫煙者の割合はセレブよりも庶民の方が圧倒的に多い。
ということは、タバコ増税は不況で生活苦に追い込まれている人の最期の楽しみも与えない政策だといえる。
健康のためといかにも増税ではなく国民の健康を気遣っているようなマヤカシの言葉が耳障りだ。
健康で長生きを願っているならば、長生きできる生活を保障する年金の支給を誤摩化さずにすることの方が先決。
やるべきことを誤摩化しつつ、長生きされると保障がついていかない財政から老人が住みにくい社会を構築しつつ、「国民の健康」を口にするとはおこがましい。
20年前、タバコの売上は3兆円あった。税金が約70%だから、2兆1千億円の税収が確保されていた。しかし禁煙運動の影響で売上は落ち続け、今では2兆円の売上で1兆4千億円の税収になってしまった。
それを国民を誤摩化して倍の価格で販売すれば、また税収が戻るであろうと目論んでいるらしい。まさに机上の空論とはこのことである。
私は喫煙者だが、喫煙者であっても他人の煙は好きではない。
まして非喫煙者ならば、余計嫌なものであることはよくわかる。これは礼儀作法の問題で、タバコの売価を上げれば煙の害が少なくなるというものではない。
みんな本筋から目を背けて、誤摩化しの手法を正当化しようとする。
日本人の多くは今や、収入も減り食事にも事欠いている貧乏人が大半を占めている。
その国民のささやかな楽しみを奪う事なかれ!
長生きすればするほど生きづらい社会を放っておいて、健康を願っているフリをするな。
本心は生産力ではなくなった高齢者は早く社会から消えて欲しいと思っていることぐらい、官僚より頭の良い庶民は察しがついている。
早く死にたくて身体に悪いと諌めているタバコを100本口にくわえても、自殺はできない。
車の排気管は、1本くわえるだけでおサラバできる。
タバコの害を訴えている官庁の周りには、官僚が乗っている車が何百本も、
排気管からガスを吐き出している。
合掌!