善政を行うには優秀な人が必要である。官僚の渡りを禁止したり規律をきつくすると優秀な人材が集まらないという輩がいるが、こうした目的を餌として集まる人材は、何に対して優秀なのか理解に苦しむ。
鷹山は優秀な人材をどのようにして集めたのか、以下に記す。
適材適所なくして善政は布けない。
能力のある人材に対しては、乏しい財政から惜しみなく手当を支給した。
その立場は3つあり、ひとつは郡奉行(地方自治体の首長)であり、彼らに対して次のように指図した。
「赤ん坊は自分の知識を持ち合わせていない
しかし母親は子の要求をくみとって世話をする
それは真心があるからである
真心は慈愛を生む
慈愛は知識を生む
真心さえあれば不可能なものは無い
役人は民に対して母のように接しなければならない
民を慈しむ心があなたにあるならば
才能の不足を心配することはない」
今でいう学歴よりも人間性で優秀か否かを見極めたのである。
第二の役目は教導出役(民を教育する立場)であった。
彼らには、
「地蔵の慈悲を持ち
心には不動の正義を忘れるな」
教育の無い民を治めるのは手間がかかり効果もあがらないと言って、すべての人々に「生命と温かい血を通わせた。
だが教育も規律を欠ければ効果が上がらない。
そこでみっつ目の役目は廻村横目(警察制度)を制定。
「警察である廻村横目は
閻魔の正義、義憤を示し
心には地蔵の慈悲を失うな」
と指示した。
この制度は5年間、何の妨害も受けること無く機能し、領地には秩序が現れはじめ、絶望視されていた社会にも回復の希望が蘇ってきた。
しかし、
そこへ最も手痛い試練が訪れた。
保守派が台頭してきたのだ。旧態にそのまましがみつく人たちで、改革にはどんな形でも反対する連中である(現代の官僚たちと酷似している)。
彼らは若き藩主に詰め寄り、新体制の即時撤回を求めた。
しかし鷹山は彼らには答えず、その判断を領民に求めた(現代でいう選挙に問うのと同じ)。
民の声は改革を求めていた。
鷹山の腹は決まり、反対する重臣7名を呼び言い渡した。
5人は所領の半分を没収し無期閉門(給与を半額にして自宅待機)、首謀者の二人は武士の作法に従って切腹を言い渡した。
こうして保守派と不平派は一掃され、藩政は大きく好転しはじめた。
続く
(この項は内村鑑三著「代表的日本人/英文」を和訳した鈴木範久の原稿を出版した岩波文庫から引用・参照しています)
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