2009年9月30日水曜日

面従腹反

 政権が変わってまもなく1ヵ月になろうとしている。
 「何ができるか」ではなく、「何が変わるか」を注目していなければならない。
 評論家と称する人たちは「できる」「できない」と議論を交わしているが、国民が願ったのは変革である。ならば、「できる」「できない」ではなく、「どうすればできるか」という議論をすることが大人だろう。
 自民党は新たな総裁を据えて政権奪還を目指すという。切磋琢磨するのは良いことだ。しかし自民党は党内にある諜報機関を使って民主党のスキャンダルを探し追求する方針らしい。国民の期待に応えようとする民主党の動きを阻止しようとすることになる。
 見方を変えると、国民の期待そのものを阻止することだ。国民が望んでいることが理解できなくて政権奪還できると思い込んでいること自体、古き体質から変わっていない証だ。
 散々スキャンダルにまみれ誤摩化してきた政党が、何をか言わんやである。
 他党のあら探しをする時間とゆとりがあったら、その諜報機関を活用して国民の願いをまとめなさい。それを実行するというならば復権のチャンスはあるだろう。

 自らが悪いために破れたと理解せず、民主党が人気があったから負けたと思っているから「顔」を変えれば復権できると短絡的にしか考えない。その結果が谷垣総裁となり、旧態然とした事なかれ主義政党のままだ。

 JR西日本が事故調査報告書を事前に入手し、国民を誤摩化す工作をしていた。事故をおこした当事者と調査機関が同じ穴の狢(むじな/たぬき)ならば、起きるべきして起きた不祥事。最初から襟を正す考えなんてなかったんだ。
 当事者は頭を下げた。「二度とこんなことが.....」。
 数日後同類の誤摩化しが発覚した。
 当事者は頭を下げる。「二度とこんなことが.....」。
 何度目が二度目なのか、これが腐敗した政治と官僚、政府系会社の構図である。

 こうした態度を面従腹反という。
 マスコミの取材に対して殊勝な態度を見せていても、腹の中では「何が悪い!」と思っているから、同じ言葉を何度口にしてもその場だけ。

 芸の無い芸人と呼ばれる連中がテレビの画面で騒ぎまくる。クソ面白くもない内容で放送を続けるのは「省エネ」を訴えているマスコミの言葉に反する。
 そんな連中は早く画面から消して、「ごめんなさい」番組をつくれば良い。
 毎日毎日誰かがどこかで「ごめんなさい」を繰り返している。
 それだけで十分番組が構成できる。彼らの「ごめんなさい」をランク付けしよう。
 面白さと正直度をランク付けすれば、ニュースの「ごめんなさい」も
もう少し楽しくなるだろう。