2009年7月10日金曜日

漆黒の闇

 温暖化対策の具体案は提示されることなく、サミットが終わった。
 オバマ大統領はアメリカの間違いを認めたが、利益を追い求める諸国の賛同は得られなかった。

 結局は欲の皮の突っ張り合いと、どこかの首相のように自分の立場をカッコ付けようとした軽薄者の集まりでしかなく、国民・地球人無視の3日間だったと言える。

 数ヶ月前に日本の月探査機「かぐや」が月から見た「地球の出」の映像を送ってきた。
 漆黒の闇の中に、青く輝く地球が顔をのぞかせる瞬間、その闇は光を受ける。

 青く輝く夏の空を眺め、
 輝く自然を眺めながら、
 その外側は漆黒の闇だと意識する人は皆無に等しい。
 しかし
 地球が昼であろうと夜であろうと、
 地球を取り巻く薄皮の外は、
 漆黒の闇なのだ。

 月から眺めた「地球の出」の映像を見た時、
 どうしてこんな小さな星の中で、核だ内乱だ、儲けた、損したと争っているのが馬鹿げてみえた。

 どんな権力を持とうが利益を得ようが、この宇宙の時間の中では
ほんの一瞬の出来事でしかない。
 その一瞬の出来事の繰り返しによって、半恒久的な地球が輝きを無くしてしまう日は近い。


 宇宙には数えきれない星が在る。
 その中で生き物が暮らすのは地球だけだというのは、思い上がりにも等しいと思う。
 数多あってしかるべきだ。
 しかし我々が知る限り、
 身を焦がすことなく、漆黒の闇の中で青く輝いている星は地球だけである。

 このような利欲を突っ張り合っていると、
 近い将来、地球も沈黙の星となる。

 漆黒の闇を漂う地球星を見つけた他星人は言うだろう。
 この星にも生き物のいた気配があると.............。

2009年7月7日火曜日

ボランティア

 神奈川の独居老人家庭の安否をたずねて、巡回するボランティアグループが演劇によって趣旨を訴え仲間を集めていることをテレビが特集した。
 いかにも善意の集団のように聞こえるが、何か腑に落ちない。

 加入している商工団体からボランティア活動に参加するよう求められた。
 「ボランティアって何をするのですか?」
 「朝早く起きて町の掃除をしたり
  寝たきり老人を入浴させたり.....」
 「そんな活動はボランティア活動ではない
  そうした活動は役所の仕事
  役所の仕事をみんながやるから
  彼らは動かなくなる
  ボランティアとして社会活動をするというなら
  やるべきことは
  役所へ出向いて雑談に講じている者をみつけ
  首根っこを掴まえて町の掃除に出向かせること
  それならば
  ボランティア活動として意義がある」
 と言った。

本当のボランティア活動とは、「やるべき立場」の人がやることを手伝うのではなく、
役所のできないことをやることだ。


 数年前アメリカの地方空港で便を待っていたときのことだった。
 数人の高校生らしい女子のグループが入ってきて
プラカードの準備を始めた。

 どうやら私が乗ろうとしている飛行機で野球のチームが到着するらしく、
彼女たちはそのチームのサポーターであることがわかった。

 まもなく飛行機は到着し乗客が降りてきた。
彼女たちは歓声をあげてチームを迎え始めた。
 チームの最初に出てきたのはダウン症の少年たちであった。
 しかし彼女たちは少年の後に続く選手と同じ歓迎を、少年たちにも与えていた。

 このシーンを見た時「これが本当のボランティア活動だ」と思った。

 それはダウン症の少年たちに対するサポーターの対応ではない。
 チームが自分たちの一員として、障害のある子どもたちを加えていることに対してである。

 健常でない者にとって一番の憧れはスポーツ選手である。
 チームのメンバーに加えて一緒に行動することは、何にも勝る子どもたちへの励ましになる。
 これは役所ではできない。

 日本ではプロチームの、どこがこうした心ある活動をしているだろうか。
 チャリティと名打って集めた金を寄付しているのは聞いたことがある。
 しかし障害を持つ子どもたちは「何に幸せを感じるか」考えていない。

 冒頭の独居老人家庭を巡回するのも役所の仕事である。
 役所の福祉課へ出向いて様子を見てみるがよい。
 彼らほど時間を持て余している連中も珍しい。

 相談がくると福祉事務所へ連絡する以外仕事らしい仕事をやっていない。
 一般の市民がボランティアという的外れの活動をすればするほど、
 彼らは時間を持て余す。

 本当のボランティア活動とは
役所ではできない活動を続けることである。


2009年7月5日日曜日

余計なお世話

 選挙に向けて「資金的ゆとりがなくても希望者は全員大学に進学できる制度をつくる」ようアホウ総理じゃなかった、麻生総理は官房に指示したという。

 家庭経済が破綻して進学を取りやめた高・大学生が数万人でたときですら、政治は見てみぬ振りをしていた。
 国民のおかれた立場が見えず、自分の足下ばかり気にしていると、付け焼き刃的制度の大盤振る舞いとなる。
 セフティネットの各種制度、エコポイント制度、どれをとっても「人気取り」に終始し、国民の将来にどんな禍根を残そうともおかまいなし。

 こうした制度によって人気が戻ったと錯覚するご仁を「裸の王様」という。

 バブル破綻で、年間47千人と一気に増えた自殺者も、少し落ち着いて30,000〜35,000人で推移して約20年が経過した。
 30,000人以上とは市制の最低人口だ。
 毎年小さな市が消えていることになる。
 20年この状態が続いているということは、120万都市ひとつ消えているのと同じなのだ。

 なのに政治屋たちには将来的な計画がなく、官僚たちは保身しか考えていない。

 知事になる前に国政に色気を出し、自民党ににじり寄って袖にされ、方向転換して知事に当選した地鶏とマンゴーのセールスマンに、人気挽回に利用できると察すると、恥も外聞もなく色目を使い、待ってましたとばかりその誘いに乗るような人たち。
 口にしている言葉が空々しい。

 政敵のあら探しばかりにご執心で、国会を会期まで開催しようとする連中は、次回の選挙で落選させればよい。なぜなら国会とは何をすべきところかわかってないからだ。

 国民の生活を守る討論をするのではなく、仲間同士でののしり合うために1日数億円の無駄遣いをすることがおかしいと理解していない。
 そんなことに時間を費やすならば、自分たちのどこが悪いのか、「自己反省」をするべき。

 高齢化社会到来といいながら、高齢者が安心できる環境ができていない。
 年金制度でも嘘の上塗りを繰り返してきた。

 年金で生きられないこんな人生は嫌だと、入院をきっかけに安楽死を申し出ると、法規制によって断られる。死ぬこともできない。
 自殺をしようと思っても罪人扱いされ、残された家族が惨めな思いをする。

 表面、
 長生きをするように医療制度を整え、長寿を祝う素振りをしながら、生きるだけの年金の支払いはない。
 生きるに生きられず、死ぬに死ねないこの不思議な国日本。

 生き地獄とは、この国に暮らす高齢者の、5年後の有様とみる。

 一見善良面をした法律は必要ない。
 心のない決まりなんて、余計なお世話。

 高齢者といわれる人たちは、いまあなたが立っているその日本の土台を作る貢献をしてきた人たち。
 その土台に立って、築き上げた人たちを弄ぶと、必ずそのしっぺ返しがくる。

 それは、そうした対応を見ている次世代が、
「自分たちはそうした扱いを受けまい」と、社会全体のことではなく「自分だけ」のことしか考えなくなるようになり、社会が崩壊することによってである。

 もうその兆候は現実となってきた。
 政治屋がその先鞭を切っているから間違いないだろう。
 自分のことだけ考えて心にもないことを口にしても、聞いてるものは耳を塞ぐ、
 「余計なお世話」。