2009年8月25日火曜日

上杉鷹山に学べ 2

 (上杉鷹山に学べ 1 の続き)

 17歳で九州の秋月家から上杉家に養子に入った鷹山は、破綻している財政の立て直しのために一生を費やした。
 権力者とその子弟たちが特権階級に甘んじ、その結果部下や領民に対する義務も、自分に力と富が与えられている訳も忘れてしまっている時代である。(今と全く同じといえる)

 人間は変革に対しておのずと抵抗するものである。しかし若き鷹山は変革を成し遂げなければならなかった。それ以外、領民を救済することは不可能であった。
 (すぐに増税を考えるのは鈍らな治世者である)
 しかし変革は他人を待つのではなく、まず自分から始めなければならない。
 財政は最初に解決を迫られる問題であった。
 少しでも秩序と信頼を回復するのは極度の倹約しかない。

 藩主自ら家計の支出を1050両から209両に切り詰めた。(給与を約5分の1にした)
 奥女中も50人から9人にして、食事は一汁一菜にした。
 家来たちも倹約をしなければならないが、鷹山自身とは比較にならない程度の倹約であった。
 家来(官僚)の手当(給与)も半分に減らし、実現した余剰金は積もり積もった負債(国債)の返済に回していった。

 この状態を16年続けることによって、負債の返済を終わらせた。時に鷹山33歳である。
 しかしこれは、まだ財政改革の消極的な面に過ぎない。
 「領民の幸福は治者の幸福である」
 「統治を間違えておきながら領民に富を期待するのは
  キュウリのツルから茄子の実を期待するのに等しい」
と、領民の財政が豊かになるよう着手した。

続く

(この項は内村鑑三著「代表的日本人/英文」を和訳した鈴木範久の原稿を出版した岩波文庫から引用・参照しています)

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