2009年7月3日金曜日

医者のことば

 友人Aさんが余命数ヶ月と 医者から宣告された
 しかしAさんには食欲があった

 奥さんが看病にいく度に 「うなぎが食べたい」「寿司が食べたい」という
 奥さんは少しの余命 願いを叶えてあげたいと
その欲求に応え続けた

 2ヶ月が経過した
 Aさんは「病人食は嫌だ 家に帰りたいと告げた
 奥さんは「最後は家で」とつれて帰った

 半年が経過した
 Aさんは仕事に復帰した
 医者は言った
 「私の見立てが間違っていたのではなく
  薬が合ったのだ」


 友人Bさんは ある朝起きようとして
突然激しいめまいと吐き気で動けなくなった
 救急車で運び込まれた病院の医師は
 「この病気は原因不明で治りません」
 と告げた

 Bさんは脱サラしたばかりで 家庭にはダウン症の息子がいた
 息子の将来のために金を残す手段として
自殺を考えた

 投身しようと病院の屋上に向かうが
身体が思うように動かない
 這いずりながら やっと屋上へ出る扉までたどり着いた
 そこには鍵が掛かっていた

 病室に戻る途中で
すれ違った見舞客が教えてくれた
 「その病気を治す先生が
  埼玉大学病院にいますよ」

 Bさんは転院を申し出 埼玉大学病院へ入院した

 4ヶ月後退院し
事業は中堅規模まで成長している


 私は10数年前 難病宣言を受けた
 全身の表皮が落ちて 生皮状態になっていた
 まるで「お化け」
 生きる意欲をなくした
 当然のように自殺を考えた
 外見上症状が抑えられているのは
中国の医師が教えてくれた治療法のお陰だ

 今は某大学病院の治験患者となりながら
治療法を見つける協力をしている


 医者の言葉は重い
 「治らない」と言われれば 失望するのは当然である

 しかしかいかぶってはいけない
 医者も神様ではなく 職業なのだ
 
 私は自らの体験や友人たちの体験から
 医者の言葉の捉え方を変えた

 医者が「治らない」といったら
 それは
 「私では治せない」と告白していることであると

 ガンが発病して死に赴く大きな原因は
「もうおしまいだ」とあきらめる本人の気持ちと
抗がん剤にあるといわれる

 病が悪化すると
医者は必ず「余命○○日」と絶望の言葉を告げるが
どんな言葉を聞いても その後に付け足すことだ

「だけど本人の生きようとする想いが
 何ヶ月でも何年でも症状の悪化を押さえることができる
 だから希望を持って努力しよう」


羨望とは うらやましい望みと書く
希望とは かすかな望みと書く
絶望とは 望みがとだえたと書く

待望とは 望みが叶えられるのを 待つと書く

2009年7月1日水曜日

できるかどうかが問題なのではない

 次期衆議院選挙では間違いなく自民党は負けるだろう。

国家財政の支出は歯止めをなくし、目先の保身しか考えず、次世代に負担を残すことを繰り返している国家が存続できる試しがない。


 消費をあおるエコポイントも私は一切利用しない。

 自分が多少得をしても、そのツケは子どもたちの世代にまわされるからである。

 親として最低限努力すべきことは、子どもたちの将来に負担を少なくすることだと思っている。


 自民党と何らかの関係があり、それによって少なからず利益のあった人たちは、野党に政権維持をする能力がないと、口を揃えて危惧する。


 どんなことであっても、どんな立場であっても、経験をするまでは「未経験」なのだ。

 未経験だからといって否定的に考えてしまうと、新たな能力は見いだせない。

 「未経験だからできない」との発言は一見正論に聞こえるが、その裏をかえせば、自分が守ってきた利益がなくなることに不安を抱いているにすぎない。


 その立場になったとき、周りが期待した能力が発揮できないとしても、「だから前の政権がよい」といっていれば、国体は老衰化するだけである。

 新しい政権を育てていくのも、国民の責任ではないか。


 昨今の自民党の言動から、国民の政治は微塵も感じられない。当初はこんな政党ではなかった。

 なぜこんな政党になってしまったのか。


 その理由は一党支配にある。

 長年続いた一党支配は、自民党こそ正義と思い込ませるに十分であった。

 その間違えた正義には、国民の声を聞く姿勢はなく、自分たちの言動すべてが正義と思い込んでいる。

 その思考が国民不在の言動となる。


 一党支配は社会主義体制だけにあるのではない。

 民主主義政権にもあることを見逃してはいけない。


 一党支配の国の末路を幾つも見てきた。

 日本も同じ道を歩んでいる。

 この歩みを止めることができるのは、政権交代以外あり得ない。



2009年6月30日火曜日

かすかな記憶

最近 どこかで目にした
「景気の回復には みんなが 少しの 贅沢をすること」

電車の中の 広告に あった
「昨日に クヨクヨ するより
 明日に ワクワク しよう」

30年近く前 イタリアが 破綻した
政治力では 回復ができなかった

経済を立ち直らせたのは 国民の力である
その 合い言葉は
アモーレ (恋して)
カンターレ(歌を唄って)
ボンジョーレ(美味しいものを食べて)

2009年6月29日月曜日

友人の笑顔が消えた

 携帯が鳴った。
 ことあるごとに助けてくれていた友人からである。
 「たまにはゆっくり飲みながら話そうよ」

 新宿の紀伊国屋書店の裏通りにある喫茶店で待ち合わせした。
 業界人と待ち合わせをするときに、一番わかりやすいところとして何年も利用している。
 この店を告げると誰もが「知ってますよ、最近行ってませんが以前よく利用しました」とかえってくる店だ。

 入ろうとするときに、出てきた客の声が耳に入った。
 「惜しいよね今週で閉店するのは......」
 席についてマネージャーに声をかけた。
 「今耳に挟んだんだけど閉店するのですか?」
 「そうなんです 長い間ご利用ありがとうございました」

 理由を聞くと、寂しげな笑顔を浮かべて「もう商売に疲れましたよ」

 けっこう繁盛し続けていたように見えた店も、実態はそうではなかったのかも知れない。

 様々な人の、喜怒哀楽を見てきたであろう「知る人ぞ知る店」が、またひとつ消えた。

 友人が少し遅れて入ってきた。
 笑顔であるが、自然さはない。
 「何か悪い話でもあるのですか?」
 電話を受けたときから、「何か」感じていた。

 彼は誰でも知っているマスメディアの大手企業で部長職にいる。
 平日の夕方に出かけてくることは、立場上無理があると思っていた。

 無理をしてつくっている笑顔のまま、
 「そうなんですよ 私の部署が廃止されました
  当分閑職になったんです」
 こう話すと、その顔から笑顔が消えた。

 3月に会ったときに、すべての部署で人員削減が行われたと聞いた。その流れの一環なんだろう。
この部署は彼が立ち上げたから、余計寂しさがあると推察する。
 不況アメーバは今や、街角から大手企業まで浸食してきた。

 国民の生活よりも、自分たちが選挙で有利になるために流す「時局的情報」で、いくら景気は底をついたと言い続けても、その現実は「友人の顔から微笑みを奪ってしまった」。

 彼のブログを見てみた。
 「眠れない日が続く」と告白している。
 無理して見せる笑顔は周りに振りまいているのではなく、自分を励ますためだと気づく。

 悩んでいるときこそ、眠らなければならない。
 なぜなら、眠ることによって思考の回路が回復できるから、プラス的考えになりやすいからだ。
 私も過去、生きる望みを失ったことがあった。
 しかしどんなに追い込まれても、その日は眠った。
 どうやって眠ったかって?
 それは、
 「明日になればきっと良くなる
  明日になるためには寝なければ」と思ってベッドに入った。

 どんなことでも、始まれば必ず終わりがくる。
 彼も部署を立ち上げたときから、終わりに向かって進み続けた。
 終わるのが嫌なら始めてはいけない。
 
 彼は、早く整理して再出発をするという。
 早く整理すれば、それだけ早く新しいスタートが切れる。
 間違いなく彼はまた、復活する。
 本当の笑顔が戻る日を、待つ。