自民も民主もマニフェストを公表した。
その中で目立つのは少子化対策である。
これらの政策はまるで国民に「産めや増やせや」と子どもの増産を迫っている感がある。
この言葉、どこかで聞いた覚えは無いか?
そう、戦争中に唱えられたスローガンだ。
戦争中は国民は武器、弾に等しく、戦死者が増えて兵力が劣ると見るや、国を挙げての大合唱となった。
若く逞しい青年が戦地へ赴いており、残されていたのは子どもと老人ばかり。(いや権力者の子息は意識的に兵役不適格となって残っていた)
老人や子どもを相手に「産めや増やせや」と号令をかけて、セックスを強要したのだから、これは拷問に等しい。
戦地に赴いていた若者は食料不足の中進軍を強要されていたのだから、国内に残された老人や子どもに、拷問に近い行為を強要したとしても「前線に比べれば」との逃げ口上があったのかも知れない。
さて、今記したように戦争中は兵器の一部として人間の増産があったが、21世紀の平和な(一見)日本において、なぜ今「産めや増やせや」と国が音頭をとっているのか。
それは少子化によって税収等国民負担が減るためである。
端的に言えば、
「税金を徴収する頭数を増やせ、さもないとお前たちに負担をかぶせて増税するぞ」と脅しているのだ。
なぜ税収が減ると困るのか。
それは現状が維持できなくなるからである。
じつはこの考えに、今社会が陥っている不況による不安の骨幹があるのだ。
それは「現状を保ちたい」との欲によって悩みが大きくなっている。
「現状」それは今の収入であり、生活、車、仕事などが保てなくなると思って不安に陥っているのである。
国家はその不安を解消するために「増税」という一番手っ取り早い手法をとる。
このままでは日本の総人口が8千万人前後になる危険があり、そうなれば国体を維持できないと政府は考えている。
何とも不思議な発想だ! というよりも、この言葉で国民を誤摩化そうとしている。
過去日本の歴史を振り返ってみよう。日本の総人口が8千万人しかいなかった時代がなかったのか? あった、いやそれよりもす〜っと少ない時代があった。
ではその時に日本という国は存在できなかったのか?
いやいや立派に国家は存在した。
ならば、なぜ少子化すると国体が保てなくなるというのか?
それは今の状況「無駄な道路建設」「無駄な官僚の渡り」「無駄な箱もの」など、国を弱体化させている官僚や政治屋の「無駄遣い」ができなくなるからだ。
戦争中を例に出すまでもなく、国民は国家に利用されてきた。
今また利用されようとしている。
余計な予算を組むことはすなわち将来へ借金を残すことになる。
子どもたちの出産、成長にお金をばらまくことは、彼らに「生まれながらの借金」を背負わすことになる。
目先の損得だけで動かされるのは、そろそろ卒業して欲しい。
少子化の結果国民が減ったら、その国民の数にあった政治をやれば良いだけのこと。
おたおた、あたかも危機を迎えるがごとき言動は、考慮・配慮の無い馬鹿の振る舞いに等しい。
中国嵩山少林寺に籠っていたとき、方丈に教えられた。
人が苦しみ悩むのは欲を持つからである
欲をなくすと悩みから救われる
私が話している欲とは、性欲、食欲、物欲ではない
これらの欲は人間が進化していくために必要なもの
無くすべき欲は、
「今を保とうとする」ことである
元々ゼロから生まれてゼロに還る
無くて元々、流れに逆らっては苦しむだけである
事業の経営者が苦しんでいるのも、不況が続けば「今が保てない(倒産・廃業)」と思うからであって、「なくなれば無い」生き方をすれば、何も苦しむことはない。
国家たるもの、自然の摂理に逆らってはいけない。
自然の摂理に法って国家を経営してこそ、国民は幸せになれるのである。