戦争従軍者や戦争体験者は、総人口の24%となった。
「もはや戦後ではなくなった」と、時の総理が口にしてから30数年が経ち、平和の尊さがわからない世代が街に踊り、政治屋は危機を煽って再軍備を訴えだすように、日本は様変わりをした。
五・一五事件の首謀者のひとりである三上卓は、蜂起に至る世相を嘆いて、
『権門上に おごれども
国を憂う 誠なし
財閥富を 誇れども
社しょくを思う 心なし
ああ 人栄え 国亡ぶ
めしいたる(目の見えない)民 世に躍る
治乱興亡 夢ににて
世は一局の 碁なりけり』
と歌に記した。
今、全く同じ世相を呈している。
これは国が存亡の危機に直面していることである。
なぜ日本人は体験学習が下手なのだろうか。
いつまでも何かにこだわっていると「しつっこい」とか「蛇みたいな性格」と言われるが、だからこそ「体験」が「学習」となる。
「まあまあ」と山間部落で生き延びる術が、経験したことから目を背け「忘れる努力」に努めた結果、再び同じ過ちを繰り返すことになっている。
それが日本という不思議な国。
日本がこの64年間避けてきた問題に正面から取り組んだ時、「日本の戦後処理は終わった」と言えるだろう。
終焉は時間の経過ではなく、自ら過去を認めることによる。
64年間避けてきた問題とは、日本人による戦争責任の総括である。
総括は
① 侵略の責任と国民を死に追いやった(300万人強)責任
② 軍部に脅され国民を騙し通した新聞などマスコミの責任
③ 戦争に加担した官僚の責任
④ 戦争という時流にのってそれを煽った国民の責任
になる。
①の侵略については某かの理由をつけて正当化する輩がいるが、
あなたの家に、あなたが招くことなく人が押し入ったら、「不法侵入罪」として訴えるだろう。国家間も同じで、どんな経緯があろうとも相手国が招かないのに武器を持って乗り込めば「不法侵入」、すなわち侵略である。
②マスコミの責任について、
敗戦後幾つかの新聞は社説で小さく、その非を詫びている。しかし今振り返ればその社説は「形式的」なものであって、決して自らの非を認めていたのではないことがわかる。
なぜならば今まさに、マスコミは当時と同じ過ちを繰り返している。
国民をバブルに煽り、景気が底をついたと嘘の報道を繰り返すことによって就職浪人を増やし、国の骨幹を危うくしながら、その責任を自らに問うことはない。
③戦争に加担した官僚の責任で一番大きいのは文部省である。
文部省は小学生に対して戦争を美化した教育を行い、中学生になると軍事教練を行う等、国民を戦争へ煽った責任がある。
今学校教育で近代史を詳しく教えないのは、この部分に触れると自らの責任が問われることを恐れているからだ。
その結果、正しい自国の歴史を知らない若者が増え、戦争を阻止しようとする力が失せてきている一因となっていることは否定できない。
外国へいけばわかるが、自国の近代史を知らないことに疑問を持っていない若者は、日本だけなのだ。
④国民の知識不足が戦争を煽る力に同調する結果を招いた。
自分が勝者であり続けることはあり得ないことや、敗者の苦しみを理解しようとしなかったことが原因と言える。
満州へ出向いた開拓団が現地の中国人に発した言葉は「おい」「こら」「ばか」の3つの言葉だといわれている。
開拓団の人たちはボキャブラリィがなかったのではなく、彼らが日本にいるときにかけられた言葉が、この3つだったのだ。
開拓団に参加した人たちは、小作人や日本で生計を立てられない人たちだった。
彼らが日本にいるときに、地主からかけられた言葉、それは「おい」「こら」「ばか」の言葉しかない。
彼らは他人にかける言葉はこのみっつだと思っていたのだろう。
その点では「体験学習」していたといえる。
数日前「終戦」ではなく「敗戦」だと、正しく歴史を認識することを記した。
敗戦だと認識することによって、戦後処理を終わらせる行動が始まる。
戦争を反省するとは、今を反省することである。
三上卓の歌は10番まで続き、次の節で終わっている(行動に移った)
『やめよ離騒の 一悲曲
悲歌慷概の 日は去りぬ
われらが剣 今こそは
廓清の血に 躍るかな』
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