2009年8月21日金曜日

外国語を多用する場合

 日本の言葉は種類の多さで抜きん出ている。
 これは直接的な言い方だけでなく、インを含んだ気持ちを表現できる世界にも類を見ない言語と言える。
 その素晴らしい文化を持つ日本の官庁が公表する文書に、英単語が多用されるようになって久しい。
 
 中国に住む20年来の友人(女性)が寄せる手紙は、日本人以上に日本語の基本に則り、きれいな日本語を、きれいな文字で書いてくる。彼女は30代半ば、日本に留学したことは無い。

 それに反して、日本で生まれ育ち、日本の高等教育を受けてきたであろう官僚たちは、なぜ公用文書にまで外国語を多用するのだろうか。
 60数年アメリカの占領下に等しい状況が続いているからではない。
 そこには「誤摩化し」があるからなのだ。

 言葉の解釈に幾通りもあったのでは、その言葉は信頼されない。
 しかし国の骨幹に関わる問題が表面化すると、為政者は憲法の解釈ですら、「文言で表記されている以外」の捉え方をして自らを正当化(憲法違反ではない)してきた。
 自国語(公用語である日本語)ですら、勝手に解釈をかえてしまうのだ。

 いや
 勝手に解釈を変えているというのは、間違いかも知れない。ならば言い換えよう。官庁には国民が使っている国語辞書とは別の辞書「官庁辞書」があって、それに基づいて解釈しているのだと。
 とすれば、義務教育で行っている国語の勉強は、国が率先して国民に嘘を教えていることになる。

 そうした国の官僚が外国語を挟みこんで声明をだしたり、公式文書を作成するのは、その部分(外国語表記)を国民に知られたくない、すなわち追求された時にどうでも解釈できる言葉を選んでいる。
 言葉の少ない英単語ですら、ひとつの単語で幾つかの意味をもつ場合があるから、国民を誤摩化すには持ってこいの言葉になるのだろう。

 最近やたら耳にするのはマニフェスト。
 日本語で話す日本人が、日本の政治に関わってもらいたい。


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