2009年6月27日土曜日

芸人

 以前から不況時のお笑いといわれ、不況になるとお笑い番組が増える。
 嫌なこと、不安なことを笑い飛ばしたいと思うのが人の常ならば、当然の風潮かもしれない。
 漫才ブームと言われたのはオイルショックの頃であった。
 この頃は芸のある芸人が、庶民の敵である立場の人たちをなじってやりまかせ、観客の笑いをとったのである。
 その笑いには、強いアメリカをやっつける力道山への拍手と同じ意味合いがあった。

 元来大衆芸は、権力者や金持ちなどに虐げられていた庶民の想いを代弁することによって、人気を得ていた。
 しかし今の芸人といわれる人たちには、そうした芸がない。

 キャラクターを売り物にし、素人にも劣る宴会芸をさらすだけで芸人だと錯覚している。
 そして臆面もなく「もうダメになるだろう」と自嘲している。
 キャラクターは芸ではないから、すぐに飽きられて当然。

 一番悪いのは番組をつくる連中だ。
 彼らは一時でも受ける人がいれば利用し、受けなくなったら使い捨てて次を探す。彼らの刃に引っかかったら最後、使い捨てられて「前は人気があった」との思い出だけを生き甲斐に、浮かばれない余生を送ることになってしまう。

 彼らには番組を作る意欲もなければセンスもない。
 ましてゲイは知っていても芸を知らないから、ゲイ人ばかり探して登場させ、失笑をかうと受けたと誤解する。

 知恵がないから少し才長けた(芸に長けているのではない)さんまや紳介におんぶにだっこ。
 彼らは自分が視聴率を上げていると錯覚し、独善的に出演者を選ぶから、芸のない芸人は、芸を磨くよりもゴマを擦り続ける。
 番組中でもあからさまにやるから品がない。擦られる側も思い上がっているから「本番中にみせるものではない」と諌めることはしない。

 日本の不況はもう20年も続いている。ということは、芸のない芸人がテレビで下世話な話をして失笑をかいつづけ、20年も経ったのだ。

 ごたごたと御託を並べたが、芸のない連中が見たくないなら見なければよいこと。
 ここで言いたいのはふたつ、
ひとつはアホを売り物にしたクイズ番組はアホキャラが面白いと思っているかもしれないが、「いじめをみて」楽しんでいる。
 すなわち番組の紳介などの司会者は、「こんなこともわからんのか」と世間から蔑まされた自分に優越感を持ちながら、アホを弄っているに過ぎない。こうした番組に正当性を与えた瞬間から、苛めは正当化される。
 苛めの正当化が、さもヒット番組であるかのような位置づけになっていて、苛めをなくそうと言う方が無理ではないか。


 あとひとつは、元来芸人は反体制である。その芸人が知事や政治家を目指す等、体制側になること自体、資質を疑わざるを得ない。

 いみじくも石原都知事は言った、
 「宮崎県知事は芸人である」

 体制側を批判し、大衆の代弁であり続ける者が芸人として大成する。



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