ことあるごとに助けてくれていた友人からである。
「たまにはゆっくり飲みながら話そうよ」
新宿の紀伊国屋書店の裏通りにある喫茶店で待ち合わせした。
業界人と待ち合わせをするときに、一番わかりやすいところとして何年も利用している。
この店を告げると誰もが「知ってますよ、最近行ってませんが以前よく利用しました」とかえってくる店だ。
入ろうとするときに、出てきた客の声が耳に入った。
「惜しいよね今週で閉店するのは......」
席についてマネージャーに声をかけた。
「今耳に挟んだんだけど閉店するのですか?」
「そうなんです 長い間ご利用ありがとうございました」
理由を聞くと、寂しげな笑顔を浮かべて「もう商売に疲れましたよ」
けっこう繁盛し続けていたように見えた店も、実態はそうではなかったのかも知れない。
様々な人の、喜怒哀楽を見てきたであろう「知る人ぞ知る店」が、またひとつ消えた。
友人が少し遅れて入ってきた。
笑顔であるが、自然さはない。
「何か悪い話でもあるのですか?」
電話を受けたときから、「何か」感じていた。
彼は誰でも知っているマスメディアの大手企業で部長職にいる。
平日の夕方に出かけてくることは、立場上無理があると思っていた。
無理をしてつくっている笑顔のまま、
「そうなんですよ 私の部署が廃止されました
当分閑職になったんです」
こう話すと、その顔から笑顔が消えた。
3月に会ったときに、すべての部署で人員削減が行われたと聞いた。その流れの一環なんだろう。
この部署は彼が立ち上げたから、余計寂しさがあると推察する。
不況アメーバは今や、街角から大手企業まで浸食してきた。
国民の生活よりも、自分たちが選挙で有利になるために流す「時局的情報」で、いくら景気は底をついたと言い続けても、その現実は「友人の顔から微笑みを奪ってしまった」。
彼のブログを見てみた。
「眠れない日が続く」と告白している。
無理して見せる笑顔は周りに振りまいているのではなく、自分を励ますためだと気づく。
悩んでいるときこそ、眠らなければならない。
なぜなら、眠ることによって思考の回路が回復できるから、プラス的考えになりやすいからだ。
私も過去、生きる望みを失ったことがあった。
しかしどんなに追い込まれても、その日は眠った。
どうやって眠ったかって?
それは、
「明日になればきっと良くなる
明日になるためには寝なければ」と思ってベッドに入った。
どんなことでも、始まれば必ず終わりがくる。
彼も部署を立ち上げたときから、終わりに向かって進み続けた。
終わるのが嫌なら始めてはいけない。
彼は、早く整理して再出発をするという。
早く整理すれば、それだけ早く新しいスタートが切れる。
間違いなく彼はまた、復活する。
本当の笑顔が戻る日を、待つ。
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