2009年6月23日火曜日

不要の金喰い

 総務大臣を辞めた鳩山氏の元気が良い。
 人間としての資質の是非はこのさい置いておくとして、彼のあの単純さに拍手を送る。
 「一度は大臣を」と政治屋たちはその機会を狙っているらしいが、様々な作戦があるにしても、あの未練のなさが、したたかで愉快だ。

 大臣と言えば少し前の話になるが、
菅直人氏が厚生大臣だった頃、薬害エイズ訴訟に厚生省が負けたのを受けて、被害者に土下座して謝ったことがあった。
 当時マスコミは潔さを讃え、有権者は「さすが」と拍手を送っていたが、私はあの態度に理解できなかった。
 なぜなら大臣とはどんな立場だと思っているのか疑問を持ったからだ。

 どうも本人もマスコミも、省のトップに君臨するのが大臣、その省の代表であると思っているらしい。

 大臣という表記は大きな臣と書く。「臣」とは部下や家来を表す。「大」とはその代表的立場を表す、
 すなわち、大臣という表記は天皇に対する国民の代表を意味する。

 現憲法下を調べてみたが、第五章「内閣」においても、大臣の仕事についての規定が大まかにしか触れられていないので、きっと明治18年に発布された太政官達第69号の、

 (1) 太政大臣、左右大臣、参議及び各省卿の職制を廃し、新たに内閣総理大臣並びに宮内、外務、内務、大蔵、陸軍、海軍、司法、文部、農商務及び逓信の各大臣を置くこと


を元にして、現憲法に残された職業的特権なのだろう。

 しかしそんなことはどうでもよい。

 いま問題提起しているのは、省を代表する者が大臣であるとの解釈である。


 言葉の意味合いから言えば、国民を代表する立場で省に乗り込み、管理掌握するのが大臣ではないのか。

 本来の意味を知ってか知らずか、それぞれの省にはトップ職として事務次官なる立場がある。事務次官はまぎれもなくそれぞれの省の最高責任者である。

 なのにその省内において、永年に渡って行われてきた不祥事が発覚すると、なぜ大臣が土下座し、辞職しなければならないのか、全く理解できない。


 国民の代表として大臣の地位に就いたならば、その職権でもって省内の不祥事を公のものとすることが、職務の遂行になるのではないか。

 不祥事が発覚したら、大臣は「わしが暴いた」と胸を張ってればよく、事務次官を足下にひれ伏しさせて国民に謝罪させるべきである。


 聞くところによると、民主党が政権を取ったら短期に止めざるを得ないように仕向けると、中央官庁の官僚は言っているらしい。

 彼らはちょぼちょぼと不祥事をさらけ出し、その都度大臣を辞職に追い込み政権そのものが維持できない無能集団との工作をしようとしている。


 省の不祥事をあぶり出せない大臣ならば、必要がない。

 余計な金喰いの特権職なんて権威ばかりで、国会の赤ジュータンよりも意味のないものだ。


 大臣は省の代表者として、省内を守る発言をするものではない。

 それは姑息な事務次官がやること。大臣は省内の不祥事・国民にとっての不利益をさらけ出すのが仕事である。

 なぜなら大臣とは臣(国民)の大(代表)として省を監督する立場にあるからだ。


 今夜国交省の事務次官が「公用車購入談合」で謝罪した。当たり前だ!

 一番談合の多い公共事業の発注元である国交省自体が、OBの渡り先と談合しているようでは何を信じれば良いのか?

 信じるものがバカをみる社会であることを、ことあるごとに官僚は教えてくれる。

 「優秀な人材」と讃えられる官僚がごまかしや嘘をつくことほど嬉しいことはない。

 それは国民の嘘や誤摩化しを奨励してくれているに等しい。


 こんな幸せな国に生まれたことを喜ぼう!

 そしてみんなで誤摩化し、騙し合い、楽しく生きよう!

 人を騙すほど楽しいことはない!!


 

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