この記念日を日本では「終戦記念日」という。
しかし日本が戦争をしていた相手国では「戦勝記念日」という。
国際的には日本での表記は終戦ではなく「敗戦記念日」とならなければならない。
なぜ敗戦日を終戦というのか。
それは昭和天皇の言葉による。
64年前の8月15日、昭和天皇は国民に向かって「堪え難きを耐え忍びがたきを忍び」戦争に負けたことを認めるよう詔(みことのり)を発した。
その閣議で
「国民を悲惨な状況に追い込む戦争は
今日でもって終わりにしなければならない
二度と戦争をしてはならない」
趣旨の発言をされ、その言葉をもって「終戦」と言われるようになった。
しかしこうした表記には日本人独特のあいまいさがあり、そのあいまいさによって近隣諸国との感情的すれ違いが64年間も続いている。
数年前テレビ朝日の時事討論番組「朝までテレビ」で、ギャラリ−で参加していた学生が「近隣諸国が何年経っても日本の戦争責任を口にするのはおかしい。いつまで謝ればよいのか」と発言しているのを聞いたことがある。
「謝る」のは期限の問題ではなく、心の問題であり、相手が許すと思ったとき、初めてその謝罪は認められるのだ。
ではなぜ、何かある毎に「日本は戦争賠償を行っていない」といわれるのだろう?
それは冒頭に記した「敗戦」を「終戦」と認識しているところにある。
日本政府は「敗戦」と事実を認識する勇気がないために「戦後賠償」という言葉を避け、「経済支援」を続けてきた。意識の中では「戦争被害を与えた埋め合わせとして経済支援を行っている」と位置づけて、戦後賠償以上の支払いを続けている。
しかし金額で幾らになろうとも、それは「経済支援」であり、「戦後賠償」ではない。
こうした政府の「ことなかれ主義」が、「何年経っても賠償をしようとしない国日本」となって、国際問題が表面化するごとに戦争責任に言及されることとなる。
このままの状況では戦後何年経過しようとも、日本は国際社会の中でリーダーとなることは不可能だ。
今からでも遅くない。
終戦記念日を敗戦記念日と意識し、戦後近隣諸国に支払ってきた「経済支援」を「戦後賠償であった」と認めよう。それが次世代が、近隣諸国と仲良くする下地作りになることは間違いない。
自らの欠点やミスを認めないものは昇華できない。
ヒョットコ総理の言動を見ていればわかりやすいではないか。
昇華する努力をしない人に期待するか?
日本国民がヒョットコ総理に抱いている思いと同じ思いを、近隣諸国は日本に抱いている。
昭和天皇は政治に利用された。
満州国建設に関わった父から、「軍部に反抗するとたとえ皇帝であろうが命は保証されない」と聞いたことがある。
昭和天皇も同じような境遇であったことは察して余ある。
天皇家は政治に利用してはいけない。
なのに、
町村某という政治屋は、衆議院の解散時期が取りただされているときにインタビューに答え「カナダを外遊中の天皇陛下にご心労をかけてはならないから時期は遅れる」とのたまった。
この馬鹿は平成のこの世において、自分の都合を天皇を引き出して正当化しようとする。
こうした馬鹿が国会にいることが、天皇陛下のご心労となる。
このご仁、どんな派閥の長か知らないが、暫定税率延長の際には「車が減って温暖化対策になる」といいながら、その半年後は高速道路の料金を安くするからどんどん出かけて欲しい」という。
馬鹿がノホホンと生きていられるのも、戦争で犠牲となった若者のお陰であることを忘れてはならない。
戦地で死に赴いた若者の多くは、戦闘に倒れたのではなく、戦地での食料不足による餓死であった。
64回目の敗戦記念日は、形式的な式典を行うのではなく、
彼らの無念さを忘れないために、せめて1日だけでも飲まず喰わずで喪にふくそう。
毎日生産量に近い大量の食物が捨てられている日本の礎は、
戦地で餓死した多くの若者の悔しさで成り立っていることを
忘れないために。
合掌
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