2009年8月9日日曜日

覚せい剤

 アメリカの麻薬取り締まり当局は、アジアで一番大きな麻薬マーケットは日本と認知した。
 酒井法子関連の容疑も根が深いとみる。
 芸能界と麻薬の関係は何度検挙されても途絶えることはない。

 麻薬は人生をダメにするが、日本が国家として麻薬を利用した時期がある。
 それは戦争中であった。
 前回、「忘れることによって繰り返される」と記したが、歴史も忘れることによって繰り返され、忘れることによって正当化する風潮も芽生える。
 日本軍が麻薬を利用し、それによって多くの若者が死に赴いたことを忘れてはならない。

 敗戦間際、特攻隊に出撃する恐怖を払拭するために、隊員の少年たちに使われた。
 特攻隊の少年たちの追い込まれた本当の姿は、木村拓哉が映画で演じたようなきれいなものではなかった。

 出撃してそのまま死に赴いた人たちは、幸せだったかも知れない。
 それはそのチャンスが与えられなかった若者の「その後」の人生に対しての対比である。

 特攻隊員として出撃基地に集められた彼らは、その恐怖から逃れる手段として、麻薬/ヒロポンが注射された。
 出撃せずに敗戦を迎えた隊員たちは、仲間が死んで行ったにも関わらず自分が生き残っていることに自責の念を持つと同時に、正直「助かった」と思ったことだろう。
 しかし彼らは、敗戦の翌日から犯罪者扱いされたのだ。
 それは麻薬患者としてである。

 昨日まで神と崇められた少年たちは「特攻隊崩れ」と蔑まれ、ヒロポン中毒のまま社会に放り出された。
 そこから抜け出せた人も多かったが、麻薬中毒患者となり、闇ルートから手に入れて抜けきれずに廃人になって行った人たちも多かった。

 当時のニュース映画を見ると、食料統制で手に入らなくなった食料(今の北朝鮮と同じ)を、法律を犯して入手しようとする人たち(闇米運び屋と言われた)を取り締まる警察の記録ばかりだが、その裏で警察はヒロポン患者の取り締まりに躍起になっていた。

 私も幼少時に、自宅に身を寄せていた元特攻隊員がヒロポンを使用しているとのたれ込みを受けて、警察が家宅捜査にきたことを覚えている。

 自らの意思ではなく国の方針で患者にされたものに対しては、こうして犯罪者としての追求が続けられた、
 しかし、
 それを仕向けた軍部関係者に、犯罪者としての追求がなされたことはない。


 蛇足だが、
 浜松(特攻隊の訓練基地があった)に大きなやくざ組織があった。
 ここの親分は、そうした特攻隊崩れの少年たちに、生きるチャンスを与えた人だと聞いている。


 

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