2009年7月5日日曜日

余計なお世話

 選挙に向けて「資金的ゆとりがなくても希望者は全員大学に進学できる制度をつくる」ようアホウ総理じゃなかった、麻生総理は官房に指示したという。

 家庭経済が破綻して進学を取りやめた高・大学生が数万人でたときですら、政治は見てみぬ振りをしていた。
 国民のおかれた立場が見えず、自分の足下ばかり気にしていると、付け焼き刃的制度の大盤振る舞いとなる。
 セフティネットの各種制度、エコポイント制度、どれをとっても「人気取り」に終始し、国民の将来にどんな禍根を残そうともおかまいなし。

 こうした制度によって人気が戻ったと錯覚するご仁を「裸の王様」という。

 バブル破綻で、年間47千人と一気に増えた自殺者も、少し落ち着いて30,000〜35,000人で推移して約20年が経過した。
 30,000人以上とは市制の最低人口だ。
 毎年小さな市が消えていることになる。
 20年この状態が続いているということは、120万都市ひとつ消えているのと同じなのだ。

 なのに政治屋たちには将来的な計画がなく、官僚たちは保身しか考えていない。

 知事になる前に国政に色気を出し、自民党ににじり寄って袖にされ、方向転換して知事に当選した地鶏とマンゴーのセールスマンに、人気挽回に利用できると察すると、恥も外聞もなく色目を使い、待ってましたとばかりその誘いに乗るような人たち。
 口にしている言葉が空々しい。

 政敵のあら探しばかりにご執心で、国会を会期まで開催しようとする連中は、次回の選挙で落選させればよい。なぜなら国会とは何をすべきところかわかってないからだ。

 国民の生活を守る討論をするのではなく、仲間同士でののしり合うために1日数億円の無駄遣いをすることがおかしいと理解していない。
 そんなことに時間を費やすならば、自分たちのどこが悪いのか、「自己反省」をするべき。

 高齢化社会到来といいながら、高齢者が安心できる環境ができていない。
 年金制度でも嘘の上塗りを繰り返してきた。

 年金で生きられないこんな人生は嫌だと、入院をきっかけに安楽死を申し出ると、法規制によって断られる。死ぬこともできない。
 自殺をしようと思っても罪人扱いされ、残された家族が惨めな思いをする。

 表面、
 長生きをするように医療制度を整え、長寿を祝う素振りをしながら、生きるだけの年金の支払いはない。
 生きるに生きられず、死ぬに死ねないこの不思議な国日本。

 生き地獄とは、この国に暮らす高齢者の、5年後の有様とみる。

 一見善良面をした法律は必要ない。
 心のない決まりなんて、余計なお世話。

 高齢者といわれる人たちは、いまあなたが立っているその日本の土台を作る貢献をしてきた人たち。
 その土台に立って、築き上げた人たちを弄ぶと、必ずそのしっぺ返しがくる。

 それは、そうした対応を見ている次世代が、
「自分たちはそうした扱いを受けまい」と、社会全体のことではなく「自分だけ」のことしか考えなくなるようになり、社会が崩壊することによってである。

 もうその兆候は現実となってきた。
 政治屋がその先鞭を切っているから間違いないだろう。
 自分のことだけ考えて心にもないことを口にしても、聞いてるものは耳を塞ぐ、
 「余計なお世話」。

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