2010年7月1日木曜日

選挙

間もなく参議選が始まる。
誰に投票しようかと考える人、どうでも良いと無関心な人。まさに人様々。

「誰に投票するか」って、何のため?
政党は人気投票のように思っているのだろう。訳のわからない著名人を担ぎだして票集めに躍起。
「何のため」に投票するのかって聞くと、日本の将来を担う人を選ぶためって答えが返ってくる。
政党の票集めも、日本の将来を担う人を選ぶのも、大きな間違い。

政治家の仕事っていうのは
我々の納めた税金を使うのが仕事。

ってことは選挙で選ぶのは
「この人に税金を使ってもらいたい」と思う人なのだ。

納めた税金が票集めのためにバラまかれて良いのか?
使い道より集めることの是非を訴える政党に投票して良いのか?
悪政は酷税を強いて国を滅ぼす。

これすらわからない日本人はアホとしか言いようがない。
アホが投票するからアホが当選する。
アホは税金の使い道なんて考えない。

考えることは唯一、次の選挙でも当選すること。
そのために
税金をバラまく。

選挙とは
税金の使い道を決める人を選ぶのだということを肝に銘じて欲しい。
政治家も官僚も
国民から預かった税金で生きていることを改めて自覚すること。

憲法にうたわれている
「すべての公務員は国民の下僕である」と。
下僕を選ぶのが選挙。

選ばれた下僕はその日より先生と呼ばれてふんぞり返る。
後ろに倒れないように支えているのは
物乞いをする乞食と同じ精神で税金をぶんどろうとしたたかに様子をうかがう連中。

井戸塀政治家と言われた人がいた。
この人は政治家を引退する時には井戸と塀しか残っていなかった。

復活

数ヶ月休んでいたブログを復活させます
今後ともよろしく!!

2009年11月12日木曜日

タバコ税

 民主党が政権を取りどのように変革が始まるか、ブログを更新せずにしばらく様子をみていた。
 ことの是非はさておいて、政治が変わろうとしていることは実感する。しかし予算の削減もほどほどにして増税を口にするのは努力が足りない。

 そのやり玉にあがったのがタバコである。
 元々タバコには税金がかけられていなかった。しかし明治政府は日清戦争の戦費を捻出するためにタバコや味噌など、庶民の嗜好品に課税したのである。
 タバコ税は今で言う期限立法として、戦費調達を目的としたのである。
 しかし日清戦争が終結しても課税は廃止することなく、まもなく始まった日露戦争の軍事費としてその税は課税され続けた。

 今でもそうだが、一度国会を通ってしまえば後は知らぬ間に期限延長を繰り返し、期限切れを理由に課税が廃止されたことはないが、タバコ税に関しても同じように意味もなく課税され続け、課税されて当然のような意識すら生まれてしまってきた。

 ことあるごとにタバコと酒は増税の対象として取りざたされるが、この2品目は似ているようで実は顧客が相反する立場にいる。
 酒は貧乏人も金持ちも好むが、貧乏人と金持ちとは飲酒する種類が明確にわかれている。しかしタバコは金持ちと貧乏人との品に大幅な格差はなく、喫煙者の割合はセレブよりも庶民の方が圧倒的に多い。
 ということは、タバコ増税は不況で生活苦に追い込まれている人の最期の楽しみも与えない政策だといえる。

 健康のためといかにも増税ではなく国民の健康を気遣っているようなマヤカシの言葉が耳障りだ。
 健康で長生きを願っているならば、長生きできる生活を保障する年金の支給を誤摩化さずにすることの方が先決。
 
 やるべきことを誤摩化しつつ、長生きされると保障がついていかない財政から老人が住みにくい社会を構築しつつ、「国民の健康」を口にするとはおこがましい。

 20年前、タバコの売上は3兆円あった。税金が約70%だから、2兆1千億円の税収が確保されていた。しかし禁煙運動の影響で売上は落ち続け、今では2兆円の売上で1兆4千億円の税収になってしまった。
 それを国民を誤摩化して倍の価格で販売すれば、また税収が戻るであろうと目論んでいるらしい。まさに机上の空論とはこのことである。

 私は喫煙者だが、喫煙者であっても他人の煙は好きではない。
 まして非喫煙者ならば、余計嫌なものであることはよくわかる。これは礼儀作法の問題で、タバコの売価を上げれば煙の害が少なくなるというものではない。

 みんな本筋から目を背けて、誤摩化しの手法を正当化しようとする。

 日本人の多くは今や、収入も減り食事にも事欠いている貧乏人が大半を占めている。
 その国民のささやかな楽しみを奪う事なかれ!

 長生きすればするほど生きづらい社会を放っておいて、健康を願っているフリをするな。
 本心は生産力ではなくなった高齢者は早く社会から消えて欲しいと思っていることぐらい、官僚より頭の良い庶民は察しがついている。
 早く死にたくて身体に悪いと諌めているタバコを100本口にくわえても、自殺はできない。
 車の排気管は、1本くわえるだけでおサラバできる。

 タバコの害を訴えている官庁の周りには、官僚が乗っている車が何百本も、
 排気管からガスを吐き出している。

 
合掌!

2009年10月10日土曜日

知事会という卑しき集団

 
 イギリスでも政権交代がなされるらしい。
 次の政権を担う党首は言った
 「労働党の残した債務を繕わなけらばならない
  そのために国民全員がその任を負う
  公務員も一定以上の給与を得ているものは
  減額する」

 日本に例えるならば
 「自民党が残した多額の債務を減らさなければならない
  そのためには火急を要しない外郭団体は解体し
  公務員の給与も減額する」
 となるだろう。
 
 昨年末から今年の年頭にかけて準備された企業のセイフティネットともいうべき融資が、中小企業を対象に用意された。計画性のないその場しのぎの政策である。
 「一息つきたい」と多くの企業が借入をおこした。
 しかしこの借入は、返済計画のない借入であり、返せる充てのない借金を増やしたにすぎない。
 「一息つけた」としても、どうやって「二息目をつくのか」余計の心配をしていた。

 好きではない政治家のひとり、亀井静香は返済の延期を決めた。
 しごく当たり前のことで、このまま放置すれば、間違いなく「倒産」「夜逃げ」「自殺」が増えただろう。銀行は抵抗したが、このままでは貸し倒れが多発することは目に見えており、返済延期は銀行が喜ぶべきである。

 いや不良債権化したらまた税金で国が救ってくれると考えているのかもしれない。
 しかし今つかわれている国のお金は税金ではなく、全額借入金である。
 歳入よりも多い支出を繰り返すのは、全額借入金を使っているのだ。

 国の財政を立て直すことが、あらたな政権の大きな仕事である。
 なぜなら長期政権の腐敗部分をあぶり出し、修正するのが政権交代の一番の目的だからだ。

 財政を立て直すには、国民の「たかり精神」をなくさないと無理である。
 給付されるお金がなくなったとしても、それは「痛みを分け合う」ことにはならない。
 国民総てが「給付」や「保障」を求めないことだ。

 全国知事会が開かれた。
 千葉県知事になったアホ健作や宮崎県知事のそのまんまが正義面をして、交付金や公共事業が廃止になることを責めていた。
 こうした発言、発想が前アホウ総理のいう「さもしい」行為なのである。

 あきらかに国が借金をしている財政状況がわかっていながら、「金くれ」と言い続けるのは「アホ」以外の何者でもない。
 知恵ある者ならば、有るものでやりくりするのである。
 自らの思考のなさをあらわにして「さもしい」発言を続ける全国知事会とは
なんという「卑しき集団」なのか。

 これでは日本は消え行くのみ........
 

2009年9月30日水曜日

面従腹反

 政権が変わってまもなく1ヵ月になろうとしている。
 「何ができるか」ではなく、「何が変わるか」を注目していなければならない。
 評論家と称する人たちは「できる」「できない」と議論を交わしているが、国民が願ったのは変革である。ならば、「できる」「できない」ではなく、「どうすればできるか」という議論をすることが大人だろう。
 自民党は新たな総裁を据えて政権奪還を目指すという。切磋琢磨するのは良いことだ。しかし自民党は党内にある諜報機関を使って民主党のスキャンダルを探し追求する方針らしい。国民の期待に応えようとする民主党の動きを阻止しようとすることになる。
 見方を変えると、国民の期待そのものを阻止することだ。国民が望んでいることが理解できなくて政権奪還できると思い込んでいること自体、古き体質から変わっていない証だ。
 散々スキャンダルにまみれ誤摩化してきた政党が、何をか言わんやである。
 他党のあら探しをする時間とゆとりがあったら、その諜報機関を活用して国民の願いをまとめなさい。それを実行するというならば復権のチャンスはあるだろう。

 自らが悪いために破れたと理解せず、民主党が人気があったから負けたと思っているから「顔」を変えれば復権できると短絡的にしか考えない。その結果が谷垣総裁となり、旧態然とした事なかれ主義政党のままだ。

 JR西日本が事故調査報告書を事前に入手し、国民を誤摩化す工作をしていた。事故をおこした当事者と調査機関が同じ穴の狢(むじな/たぬき)ならば、起きるべきして起きた不祥事。最初から襟を正す考えなんてなかったんだ。
 当事者は頭を下げた。「二度とこんなことが.....」。
 数日後同類の誤摩化しが発覚した。
 当事者は頭を下げる。「二度とこんなことが.....」。
 何度目が二度目なのか、これが腐敗した政治と官僚、政府系会社の構図である。

 こうした態度を面従腹反という。
 マスコミの取材に対して殊勝な態度を見せていても、腹の中では「何が悪い!」と思っているから、同じ言葉を何度口にしてもその場だけ。

 芸の無い芸人と呼ばれる連中がテレビの画面で騒ぎまくる。クソ面白くもない内容で放送を続けるのは「省エネ」を訴えているマスコミの言葉に反する。
 そんな連中は早く画面から消して、「ごめんなさい」番組をつくれば良い。
 毎日毎日誰かがどこかで「ごめんなさい」を繰り返している。
 それだけで十分番組が構成できる。彼らの「ごめんなさい」をランク付けしよう。
 面白さと正直度をランク付けすれば、ニュースの「ごめんなさい」も
もう少し楽しくなるだろう。




2009年9月9日水曜日

いやしき沈黙

 民主党はアメリカ一辺倒ではなく、近隣との友好を外交の柱にしようとしている。
 「遠くの親戚より近くの他人」というが、近隣諸国は肉体的にみて「近くの親戚」であることは間違いない。
 敗戦後64年間、日本はアメリカの占領下にあり続けてきた。
 政権交代によって、やっと独立国家を目指すことができるのだろう。外交の基本は敵対するのではなく「対等」であるべきだからだ。

 近隣諸国と仲睦まじくしてこられなかった理由は、戦争にあった。
 敗戦によって孤立化した日本の弱みに付け込んで、アメリカがチョコレートとチューインガムと一緒に「優しい言葉」を投げかけ、日本は孤立化した不安から自分を誤摩化すために、その言葉を後ろ盾にして、国際社会で存在価値を築こうと、なりふり構わずアメリカに媚を売り続けてきた。
 民主党政権の追求を待つまでもなく、「非核三原則」の誤摩化しも、知る人ぞ知る周知の事実である。これもアメリカに媚を売ってきた一つなのだ。
 この件に関して言えば一番の問題は、国民を誤摩化し、世界を誤摩化しながら、「非核三原則」に貢献したとしてノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作の存在である。

 世間を誤摩化しながら、いかにも「平和の使者」と振る舞った佐藤栄作にたいし、厚顔無恥な嘘つきとして大いなる恥を感じる。遺族はノーベル賞の返還を申し出ることが多少の罪滅ぼしといえる。

 権力者は国民を騙し、利用し続けてきたのだ。


 NHKテレビが3回にわたり、水交会(旧日本海軍の親睦団体)の反省会(戦争の原因、責任を話し合う)における記録テープを公開・検証した。
 出席者は将・佐クラスなど軍令部のトップや、その周りにいた人たちで、この反省会は131回にわたって開かれている。

 私は敗戦処理で、どうも腑に落ちないことが幾つかあった。
 それは、
 極東軍事裁判で絞首刑になったのは陸軍だけで海軍関係者が一人もいないことと、B・C級戦犯(命令に従い実行した者/A級戦犯は命令者や作戦責任者)として死刑になった人が多すぎることであった。

 その疑問がこの反省会の記録テープから明らかになった。
 そこには、
 海軍のトップが責任を陸軍に押し付けたことやその手法、前線における事件は上層部が指示していないことにするための証拠隠滅方法などが、こと細やかに証言されていた。
 またその誤摩化しを裏付ける証拠の文書も見つかっていた。
 敗戦後責任逃れを目論んだ海軍の主導部は、前線における事件はすべて当事者が勝手におこなったこと、特攻隊は命令したことはなく、すべて隊員が自発的に行ったと、否定したことが記録に残されている。

例えば、
 水戸海軍少将は捕虜の虐殺を口頭で指示したが現地の責任者が「そんな重大なことは文書がないと実行できないと拒否した。そこで渋々命令書を作成して実行させたことが軍事裁判で審理された。
 出席した水戸少将は「これは誰かの偽造である」と反論し、自らは逃れ、命令に従った兵士が死刑になった。
 「あれは水戸少将の偽証である」と裁判での作戦を担当した元大佐の証言 等々。

 私はB・C級戦犯として処刑された多くの人たち、また特攻隊員として死に赴かされた少年たち多くの、最後に残した手紙(遺書)を見ている。
 軍令部の幹部が責任を逃れ、生き残るために彼らは騙された。
 反省会に出席して過去を暴いた指導部にいた連中はみな、90前後まで生きている。

 軍関係者や政治家が靖国の森に参詣するのは、騙した若者に対する罪滅ぼしなのか。

 この反省会の記録テープで新たな事件を知った。
 中国さんとう島(香港の南側に位置する)に日本軍が航空基地をつくるとき、邪魔だと言って島民約1万8千人を虐殺したという。この事件は知らなかった。
 その現場に立ち会った大井元大佐の証言は生々しく、死臭が画面から漂う気配すら感じた。

 出席者の一人は言った、
 「なぜ日本人があそこまで残虐になれたのか
  戦争とは恐ろしい」

 「戦争の事実を語ってはいけないと
  箝口令が敷かれていた
  それを守ってきたこの半世紀の沈黙は
  いやしき沈黙であった」

 そのいやしき沈黙が破られた今、日本はアメリカの占領政策から脱却しようとしている。


2009年9月4日金曜日

敗軍の将自己弁護に徹す

 古人曰く
 敗軍の将多くを語らず

 自民党が敗れた。民主党に敗れたのではなく、自らの驕りに敗れたのだ。
 今回の選挙は無血革命と言っても言い過ぎではないだろう。

 自民党の立候補者は「お願いします」「国政の場にいかせて下さい」と繰り返し土下座する。民主党の候補者は、何をやりたいのか、それをやらせて欲しいと訴える。
「土下座して横を向いたら舌を出し」狂歌でもあるまいに、こんなことを繰り返して当選できると思っているのが、社会が見えていない証。
 案の定土下座した山崎や野田は落選した。選挙民が拒否した人を当選させる比例制度は選挙を否定した反民主主義である。

 自民党の総裁は選挙期間中も自らの不徳を顧みること無く、敵陣を罵り続けた。テレビで自民党のコマーシャルが流れる度に票が減っていったという。
 その総裁、選挙に負けても相変わらずヒョットコ顔で、自己弁護と正当化を繰り返した。
 女々しいかぎりで見るに耐えない。

 明治維新で活躍した西郷隆盛は言う
 「天の道(正しい政治)を行う者は
  天下こぞってそしっても屈しない
  その名を天下こぞって褒めても
  奢らない」

 「天を相手にせよ 人を相手にするな
  すべてを天のために成せ
  人をとがめず
  ただ自分の 不足を顧みよ」

 末代までも名を残す賢人と、青筋立てて自己弁護を繰り返すこの人間性の違い。
こうした人物が日本の政にかかわっていたことは
歴史に残る「恥」である。

 マスコミも面白おかしく政権交代を取り上げるが、
不安をほじくるのではなく、可能性を期待しなければ
いつまでたっても本当の民主主義は育たない。
 まるで昨今の報道番組をみていると、若い政治が育つことを否定しているようにすら感じる。
 ここぞとばかりにマニフェストの実行力を批判しているが、政権が交代することによって得られる一番のメリットは、「隠されていた膿」が吹き出ることだ。

 企業において人事異動をなぜ繰り返すかというと、「不正や未処理」を未然に防ぐためである。
 これは政治においては最も必要とされる浄化手段であるはずなのに、その期待に触れたコメントは聞かれない。

 アメリカが一斉に警戒するコメントを出した。
 日本が当たり前な国家になろうとしている現れである。
 今までのように占領政策の延長ではいかなくなったから、北朝鮮などを引き合いに出して脅しにかかっているのだ。
 
 アメリカの文化、音楽、映画によって育ってきた世代として、アメリカは永遠の憧れである。アメリカ人の友人も大勢おり、訪米する回数も多い。しかしその政策は黙認することができない。

 若者はミスがあって当然。失敗を繰り返して成長する。
 政党も同じで、ミスを追求してばかりいたら、その目は育たない。

 小沢の影響についてとやかく言われているが、小沢が主導して何が悪いのか?
 個人的には好きではないが、選挙の大勝は「小沢なくして」可能であったかとなると、疑問である。
 誰の影響力が秀でていても、そんなことは関係ない。
 大切なのは、誰が牽引したにしろ、日本が変われるか否かなのだ。