2010年7月17日土曜日
竹原信一がんばれ
当たり前のことを当たり前に言い、行動に移しているだけで
独裁者扱いされ悪人扱いされている
舛添のようにパフォーマンスばかり狙う賤しき政治屋の多い中で
竹原信一のまともさは一服の清涼剤
日本が大統領制だったなら
絶対竹原信一を担ぎだして支援するのに
一地方の首長にしておくのはもったいない
みんなで竹原を応援しよう
彼のブログはこちら!
http://www5.diary.ne.jp/user/521727/
多数決イコール民主主義という方程式には誤摩化しがある
どんな状況であっても自分の都合の悪いことには賛成しない
例えば議会のような特権意識を持った人たちの集まりで
議員削減や歳費削減の採決をすれば
その提案は否決されて当然である
自分たちの特権や利益を失うからだ
本当の多数決は
それぞれ違った価値観や利益を享受している人たちが
同じ人数ずつ集まって採決することである
偏った利権の中で改正に立ち向かえば
強権と非難されるが
キリスト教に立ち向かった人たちが魔女や吸血鬼扱いされ
疎外されていったのと同じ
大勢の中での多数が正義と間違えた民主主義にこだわる
公正主義を振りかざす不公正なマスコミが
竹原信一を独裁者に仕立て上げた
民主党の敗北も同じ次元にある
まやかしの正義を振りかざすマスコミにその責任があるのだ
悪の追求よりも新しい政権に「何を期待したのか」
総理大臣よりもマスコミの視点が常にブレ続けているのだ
その期待を完遂させてから悪の追求をするようにしないと
何回政権が変わろうが
誰が総理になろうが
日本は衰退してゆくのみ
竹原信一も直接の交流はないから
その人となりはわからない
しかし彼がやっていること自体は
誰かがやらなければ日本が破綻する要件である
今
中央や地方に関係なく政治が目的とすべきことは
日本再建
それを地方から始めた竹原信一を独裁者扱いするものは
国家を破滅に導く極悪人である
彼が独善的で自分にとって都合が悪いと思うならば
再建を果たした後追求すれば良い
国民はマスコミの偏った視点に振り回されてはならない
戦中戦後を忘れるな
マスコミは常にご都合主義なのである
2010年7月13日火曜日
参議院選挙勝敗
この二日間各党による総括を見ていたが
それぞれが勝敗の分析を間違えている
自らの間違いを認めようとはしない連中には
人間として最低の評価を下したい
民主党が負けたのは消費税でも菅直人がブレたからでもない
自民党が議席数を増やしたのは、自民党に期待したからではない
みんなの党が一気に躍進したのは当然の理由がある
民主党と自民党、それにみんなの党の候補者を見れば
選挙結果は歴然としている
このブログで選挙前に
「政治家を選ぶとは税金を使う人を選ぶこと」と書いた
民主党も自民党も
税金を使うに相応しい人(マニフェストを実行するのに相応しい人)を擁立していない
言い換えれば言行不一致なのである
自民党が数十年前に宮田輝を擁立して得た得票の夢を追い続けた
古い発想によって
選挙結果を待つ事務所でバク転したり柔軟運動をするような候補者を擁立しり、
懐メロ番組にもお呼びでない昔の歌手が演説の代わりに車の上で歌をうたったりするような候補者を擁立すれば負けて当たり前なのだ
舛添も同じ部類で「裸の王様」を再確認したにすぎない
舛添の何とか党にも政党の要件を満たしているから税金から政治資金が支給されるという
舛添も言行一致をさせるならば国から支給される政治資金は返上すべきだ
選挙では経費削減の一環として議員定数削減を訴えていながら
この金にすがりつくところをみると
いままでここで追求してきたことが間違いでなかったことになる
自らを律することなく人を批判する最低の人物と見た
みんなの党はなぜ躍進したのか
理由は明確である
候補者のすべてが知名度よりも「技」のある人たちで、渡辺党首の方針を実行するに必要な人たちだけが擁立された
三上卓は
「ああ 人栄え 国滅ぶ
盲(めしい)たる民 世に躍る
治乱興亡 夢に似て
世は一局の 碁なりけり」
と嘆いて5.15事件を起こした
今街を歩くと目に映るのは三上卓と同じ様子
しかし選挙民は
盲てはいなかった
2010年7月3日土曜日
参議院選挙 2
小泉純一郎は「自民党をぶっ壊す」といって前の衆議院選挙を戦った。
その言葉通り、それ以降自民党は崩壊に向かっている。
しかし、
その息子は自民党の顔に祭り上げられている。
国民をバカにするにも程がある。
「この人になら預けたい」と思う人がいますか?
いなければ投票してはいけません
2009年10月10日土曜日
知事会という卑しき集団
2009年9月30日水曜日
面従腹反
2009年9月4日金曜日
敗軍の将自己弁護に徹す
2009年8月26日水曜日
前の衆議院選挙で自民党は勝っていない
2009年8月24日月曜日
上杉鷹山に学べ 1
2009年8月21日金曜日
外国語を多用する場合
2009年8月19日水曜日
井戸塀政治家
2009年7月16日木曜日
笑劇場ならぬ傷劇場
2009年7月1日水曜日
できるかどうかが問題なのではない
次期衆議院選挙では間違いなく自民党は負けるだろう。
国家財政の支出は歯止めをなくし、目先の保身しか考えず、次世代に負担を残すことを繰り返している国家が存続できる試しがない。
消費をあおるエコポイントも私は一切利用しない。
自分が多少得をしても、そのツケは子どもたちの世代にまわされるからである。
親として最低限努力すべきことは、子どもたちの将来に負担を少なくすることだと思っている。
自民党と何らかの関係があり、それによって少なからず利益のあった人たちは、野党に政権維持をする能力がないと、口を揃えて危惧する。
どんなことであっても、どんな立場であっても、経験をするまでは「未経験」なのだ。
未経験だからといって否定的に考えてしまうと、新たな能力は見いだせない。
「未経験だからできない」との発言は一見正論に聞こえるが、その裏をかえせば、自分が守ってきた利益がなくなることに不安を抱いているにすぎない。
その立場になったとき、周りが期待した能力が発揮できないとしても、「だから前の政権がよい」といっていれば、国体は老衰化するだけである。
新しい政権を育てていくのも、国民の責任ではないか。
昨今の自民党の言動から、国民の政治は微塵も感じられない。当初はこんな政党ではなかった。
なぜこんな政党になってしまったのか。
その理由は一党支配にある。
長年続いた一党支配は、自民党こそ正義と思い込ませるに十分であった。
その間違えた正義には、国民の声を聞く姿勢はなく、自分たちの言動すべてが正義と思い込んでいる。
その思考が国民不在の言動となる。
一党支配は社会主義体制だけにあるのではない。
民主主義政権にもあることを見逃してはいけない。
一党支配の国の末路を幾つも見てきた。
日本も同じ道を歩んでいる。
この歩みを止めることができるのは、政権交代以外あり得ない。
2009年6月25日木曜日
ドンキホーテと道化師
2009年6月23日火曜日
不要の金喰い
(1) 太政大臣、左右大臣、参議及び各省卿の職制を廃し、新たに内閣総理大臣並びに宮内、外務、内務、大蔵、陸軍、海軍、司法、文部、農商務及び逓信の各大臣を置くこと
を元にして、現憲法に残された職業的特権なのだろう。
しかしそんなことはどうでもよい。
いま問題提起しているのは、省を代表する者が大臣であるとの解釈である。
言葉の意味合いから言えば、国民を代表する立場で省に乗り込み、管理掌握するのが大臣ではないのか。
本来の意味を知ってか知らずか、それぞれの省にはトップ職として事務次官なる立場がある。事務次官はまぎれもなくそれぞれの省の最高責任者である。
なのにその省内において、永年に渡って行われてきた不祥事が発覚すると、なぜ大臣が土下座し、辞職しなければならないのか、全く理解できない。
国民の代表として大臣の地位に就いたならば、その職権でもって省内の不祥事を公のものとすることが、職務の遂行になるのではないか。
不祥事が発覚したら、大臣は「わしが暴いた」と胸を張ってればよく、事務次官を足下にひれ伏しさせて国民に謝罪させるべきである。
聞くところによると、民主党が政権を取ったら短期に止めざるを得ないように仕向けると、中央官庁の官僚は言っているらしい。
彼らはちょぼちょぼと不祥事をさらけ出し、その都度大臣を辞職に追い込み政権そのものが維持できない無能集団との工作をしようとしている。
省の不祥事をあぶり出せない大臣ならば、必要がない。
余計な金喰いの特権職なんて権威ばかりで、国会の赤ジュータンよりも意味のないものだ。
大臣は省の代表者として、省内を守る発言をするものではない。
それは姑息な事務次官がやること。大臣は省内の不祥事・国民にとっての不利益をさらけ出すのが仕事である。
なぜなら大臣とは臣(国民)の大(代表)として省を監督する立場にあるからだ。
今夜国交省の事務次官が「公用車購入談合」で謝罪した。当たり前だ!
一番談合の多い公共事業の発注元である国交省自体が、OBの渡り先と談合しているようでは何を信じれば良いのか?
信じるものがバカをみる社会であることを、ことあるごとに官僚は教えてくれる。
「優秀な人材」と讃えられる官僚がごまかしや嘘をつくことほど嬉しいことはない。
それは国民の嘘や誤摩化しを奨励してくれているに等しい。
こんな幸せな国に生まれたことを喜ぼう!
そしてみんなで誤摩化し、騙し合い、楽しく生きよう!
人を騙すほど楽しいことはない!!
