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2010年7月17日土曜日

竹原信一がんばれ

鹿児島県の阿久根市長は素晴らしい
当たり前のことを当たり前に言い、行動に移しているだけで
独裁者扱いされ悪人扱いされている
舛添のようにパフォーマンスばかり狙う賤しき政治屋の多い中で
竹原信一のまともさは一服の清涼剤

日本が大統領制だったなら
絶対竹原信一を担ぎだして支援するのに
一地方の首長にしておくのはもったいない

みんなで竹原を応援しよう
彼のブログはこちら!
http://www5.diary.ne.jp/user/521727/

多数決イコール民主主義という方程式には誤摩化しがある
どんな状況であっても自分の都合の悪いことには賛成しない

例えば議会のような特権意識を持った人たちの集まりで
議員削減や歳費削減の採決をすれば
その提案は否決されて当然である
自分たちの特権や利益を失うからだ

本当の多数決は
それぞれ違った価値観や利益を享受している人たちが
同じ人数ずつ集まって採決することである

偏った利権の中で改正に立ち向かえば
強権と非難されるが
キリスト教に立ち向かった人たちが魔女や吸血鬼扱いされ
疎外されていったのと同じ

大勢の中での多数が正義と間違えた民主主義にこだわる
公正主義を振りかざす不公正なマスコミが
竹原信一を独裁者に仕立て上げた

民主党の敗北も同じ次元にある
まやかしの正義を振りかざすマスコミにその責任があるのだ
悪の追求よりも新しい政権に「何を期待したのか」
総理大臣よりもマスコミの視点が常にブレ続けているのだ

その期待を完遂させてから悪の追求をするようにしないと
何回政権が変わろうが
誰が総理になろうが
日本は衰退してゆくのみ

竹原信一も直接の交流はないから
その人となりはわからない
しかし彼がやっていること自体は
誰かがやらなければ日本が破綻する要件である

中央や地方に関係なく政治が目的とすべきことは
日本再建

それを地方から始めた竹原信一を独裁者扱いするものは
国家を破滅に導く極悪人である

彼が独善的で自分にとって都合が悪いと思うならば
再建を果たした後追求すれば良い

国民はマスコミの偏った視点に振り回されてはならない
戦中戦後を忘れるな
マスコミは常にご都合主義なのである

2010年7月13日火曜日

参議院選挙勝敗

参議院選挙が終わった。
この二日間各党による総括を見ていたが
それぞれが勝敗の分析を間違えている
自らの間違いを認めようとはしない連中には
人間として最低の評価を下したい

民主党が負けたのは消費税でも菅直人がブレたからでもない
自民党が議席数を増やしたのは、自民党に期待したからではない
みんなの党が一気に躍進したのは当然の理由がある

民主党と自民党、それにみんなの党の候補者を見れば
選挙結果は歴然としている

このブログで選挙前に
「政治家を選ぶとは税金を使う人を選ぶこと」と書いた

民主党も自民党も
税金を使うに相応しい人(マニフェストを実行するのに相応しい人)を擁立していない
言い換えれば言行不一致なのである

自民党が数十年前に宮田輝を擁立して得た得票の夢を追い続けた
古い発想によって
選挙結果を待つ事務所でバク転したり柔軟運動をするような候補者を擁立しり、
懐メロ番組にもお呼びでない昔の歌手が演説の代わりに車の上で歌をうたったりするような候補者を擁立すれば負けて当たり前なのだ

舛添も同じ部類で「裸の王様」を再確認したにすぎない
舛添の何とか党にも政党の要件を満たしているから税金から政治資金が支給されるという
舛添も言行一致をさせるならば国から支給される政治資金は返上すべきだ
選挙では経費削減の一環として議員定数削減を訴えていながら
この金にすがりつくところをみると
いままでここで追求してきたことが間違いでなかったことになる
自らを律することなく人を批判する最低の人物と見た


みんなの党はなぜ躍進したのか
理由は明確である
候補者のすべてが知名度よりも「技」のある人たちで、渡辺党首の方針を実行するに必要な人たちだけが擁立された

三上卓は
「ああ 人栄え 国滅ぶ
 盲(めしい)たる民 世に躍る
 治乱興亡 夢に似て
 世は一局の 碁なりけり」
と嘆いて5.15事件を起こした

今街を歩くと目に映るのは三上卓と同じ様子
しかし選挙民は
盲てはいなかった

2010年7月3日土曜日

参議院選挙 2

前回で記した政治家の仕事もわからない政党が、選挙で勝とうと自己アピールを繰り返す。
自民党の谷垣は「日本の景気を立ち直らせてナンバーワンに」と声だかだ。
じゃ、なんで政権を持っている時にやらなかったんだ。
民主党に何かあると「我が意を得たり」とばかり責め立てるが、
すべて自民党が何十年もの間やってきたこと。
自民党は何を言おうが、「あんたに言われたくない」ことばかり。

信用を回復し集票したいならば、自らの失敗や悪政を認めること。
核持ち込み密約や民主党政権になって暴かれた多くの悪政を認め、「こうした失敗の原因はここにある。これがわかるのは悪政を繰り返してきた自民党だ。失敗から得た知恵を活かして修正するチャンスが欲しい」といえば、少しは期待できるだろう。
自民党がこのように考えるならば
核密約を隠してノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作の遺族に対し、国民への謝罪と平和賞の返還を迫るべきである。

嘘つき総理大臣は日本国のみの問題であるが、その嘘でノーベル平和賞を受賞したのは世界に対する裏切りであり、諸外国に対する日本国民の恥である。

小泉純一郎は「自民党をぶっ壊す」といって前の衆議院選挙を戦った。
その言葉通り、それ以降自民党は崩壊に向かっている。
しかし、
その息子は自民党の顔に祭り上げられている。
国民をバカにするにも程がある。


民主党は政党内の権力争いに選挙を利用しようとしている。
我々はどの政党を選ぶか、その権力に加担するかを決めるために選挙にいくのではない。
「税金を託す人」を選ぶためにいくのである。

「たちあがれ日本」が旗揚げしたときそのメンバーを見て「立ちくらみ日本」と思った。
彼らも老人だけではなくわかものの賛同も得ていると大見得を切ったが、その若者とは
股ぐら膏薬の杉村大造(字が違うかもしれないがどうでもよい人)。
こちとら、「金を集めて自民党に献金したのにコケにされている」と嘆くようなご仁に税金を預けるアホチャイマッセ!

前回の参議院選挙で300万票集めたと思い上がり、次期総理のアンケートで一番になったと有頂天になっているドングリ目のご仁も日和見主義者。
自分の損得だけで行動する。
お遊びのアンケートで一番になって、これが国民の本心だと思い込んでいるのは
まさに日本のドンキホーテ。

時代錯誤の共産党、これまた「股ぐら膏薬」の公明党。

その他何があったっけ?

巨人の監督になれなかったから立候補すると公言する中畑や仕事のオファーが来なくなったからと立候補する連中が目白押しでは
アホらしくて選挙にいく気がしない。



 ●民主
 円より子(現職、評論家)▽喜納昌吉(現職、歌手)▽有田芳生(ジャーナリスト)▽池谷幸雄(元体操選手)▽岡崎友紀(女優)▽桂きん枝(落語家)▽庄野真代(歌手)▽谷亮子(柔道選手)
 ●自民
 神取忍(現職、プロレスラー)▽田島美和(女優)▽堀内恒夫(元プロ野球選手)▽三原じゅん子(女優)
 ●国民新
 江本孟紀(元職、元プロ野球選手)▽敏いとう(作曲家)▽西村修(プロレスラー)
 ●社民
 福島瑞穂(現職、弁護士)
 ●たちあがれ
 中畑清(元プロ野球選手)
 ●みんな
 江口克彦(実業家)▽舘信秀(元レーサー)▽真山勇一(元報道キャスター)
あなたが納めた税金を
「この人になら預けたい」と思う人がいますか?
いなければ投票してはいけません

国民全員がこの選挙に参加し、全員が白紙投票によって拒否の意志を明らかにすれば
少しは変わるかもしれない

2009年10月10日土曜日

知事会という卑しき集団

 
 イギリスでも政権交代がなされるらしい。
 次の政権を担う党首は言った
 「労働党の残した債務を繕わなけらばならない
  そのために国民全員がその任を負う
  公務員も一定以上の給与を得ているものは
  減額する」

 日本に例えるならば
 「自民党が残した多額の債務を減らさなければならない
  そのためには火急を要しない外郭団体は解体し
  公務員の給与も減額する」
 となるだろう。
 
 昨年末から今年の年頭にかけて準備された企業のセイフティネットともいうべき融資が、中小企業を対象に用意された。計画性のないその場しのぎの政策である。
 「一息つきたい」と多くの企業が借入をおこした。
 しかしこの借入は、返済計画のない借入であり、返せる充てのない借金を増やしたにすぎない。
 「一息つけた」としても、どうやって「二息目をつくのか」余計の心配をしていた。

 好きではない政治家のひとり、亀井静香は返済の延期を決めた。
 しごく当たり前のことで、このまま放置すれば、間違いなく「倒産」「夜逃げ」「自殺」が増えただろう。銀行は抵抗したが、このままでは貸し倒れが多発することは目に見えており、返済延期は銀行が喜ぶべきである。

 いや不良債権化したらまた税金で国が救ってくれると考えているのかもしれない。
 しかし今つかわれている国のお金は税金ではなく、全額借入金である。
 歳入よりも多い支出を繰り返すのは、全額借入金を使っているのだ。

 国の財政を立て直すことが、あらたな政権の大きな仕事である。
 なぜなら長期政権の腐敗部分をあぶり出し、修正するのが政権交代の一番の目的だからだ。

 財政を立て直すには、国民の「たかり精神」をなくさないと無理である。
 給付されるお金がなくなったとしても、それは「痛みを分け合う」ことにはならない。
 国民総てが「給付」や「保障」を求めないことだ。

 全国知事会が開かれた。
 千葉県知事になったアホ健作や宮崎県知事のそのまんまが正義面をして、交付金や公共事業が廃止になることを責めていた。
 こうした発言、発想が前アホウ総理のいう「さもしい」行為なのである。

 あきらかに国が借金をしている財政状況がわかっていながら、「金くれ」と言い続けるのは「アホ」以外の何者でもない。
 知恵ある者ならば、有るものでやりくりするのである。
 自らの思考のなさをあらわにして「さもしい」発言を続ける全国知事会とは
なんという「卑しき集団」なのか。

 これでは日本は消え行くのみ........
 

2009年9月30日水曜日

面従腹反

 政権が変わってまもなく1ヵ月になろうとしている。
 「何ができるか」ではなく、「何が変わるか」を注目していなければならない。
 評論家と称する人たちは「できる」「できない」と議論を交わしているが、国民が願ったのは変革である。ならば、「できる」「できない」ではなく、「どうすればできるか」という議論をすることが大人だろう。
 自民党は新たな総裁を据えて政権奪還を目指すという。切磋琢磨するのは良いことだ。しかし自民党は党内にある諜報機関を使って民主党のスキャンダルを探し追求する方針らしい。国民の期待に応えようとする民主党の動きを阻止しようとすることになる。
 見方を変えると、国民の期待そのものを阻止することだ。国民が望んでいることが理解できなくて政権奪還できると思い込んでいること自体、古き体質から変わっていない証だ。
 散々スキャンダルにまみれ誤摩化してきた政党が、何をか言わんやである。
 他党のあら探しをする時間とゆとりがあったら、その諜報機関を活用して国民の願いをまとめなさい。それを実行するというならば復権のチャンスはあるだろう。

 自らが悪いために破れたと理解せず、民主党が人気があったから負けたと思っているから「顔」を変えれば復権できると短絡的にしか考えない。その結果が谷垣総裁となり、旧態然とした事なかれ主義政党のままだ。

 JR西日本が事故調査報告書を事前に入手し、国民を誤摩化す工作をしていた。事故をおこした当事者と調査機関が同じ穴の狢(むじな/たぬき)ならば、起きるべきして起きた不祥事。最初から襟を正す考えなんてなかったんだ。
 当事者は頭を下げた。「二度とこんなことが.....」。
 数日後同類の誤摩化しが発覚した。
 当事者は頭を下げる。「二度とこんなことが.....」。
 何度目が二度目なのか、これが腐敗した政治と官僚、政府系会社の構図である。

 こうした態度を面従腹反という。
 マスコミの取材に対して殊勝な態度を見せていても、腹の中では「何が悪い!」と思っているから、同じ言葉を何度口にしてもその場だけ。

 芸の無い芸人と呼ばれる連中がテレビの画面で騒ぎまくる。クソ面白くもない内容で放送を続けるのは「省エネ」を訴えているマスコミの言葉に反する。
 そんな連中は早く画面から消して、「ごめんなさい」番組をつくれば良い。
 毎日毎日誰かがどこかで「ごめんなさい」を繰り返している。
 それだけで十分番組が構成できる。彼らの「ごめんなさい」をランク付けしよう。
 面白さと正直度をランク付けすれば、ニュースの「ごめんなさい」も
もう少し楽しくなるだろう。




2009年9月4日金曜日

敗軍の将自己弁護に徹す

 古人曰く
 敗軍の将多くを語らず

 自民党が敗れた。民主党に敗れたのではなく、自らの驕りに敗れたのだ。
 今回の選挙は無血革命と言っても言い過ぎではないだろう。

 自民党の立候補者は「お願いします」「国政の場にいかせて下さい」と繰り返し土下座する。民主党の候補者は、何をやりたいのか、それをやらせて欲しいと訴える。
「土下座して横を向いたら舌を出し」狂歌でもあるまいに、こんなことを繰り返して当選できると思っているのが、社会が見えていない証。
 案の定土下座した山崎や野田は落選した。選挙民が拒否した人を当選させる比例制度は選挙を否定した反民主主義である。

 自民党の総裁は選挙期間中も自らの不徳を顧みること無く、敵陣を罵り続けた。テレビで自民党のコマーシャルが流れる度に票が減っていったという。
 その総裁、選挙に負けても相変わらずヒョットコ顔で、自己弁護と正当化を繰り返した。
 女々しいかぎりで見るに耐えない。

 明治維新で活躍した西郷隆盛は言う
 「天の道(正しい政治)を行う者は
  天下こぞってそしっても屈しない
  その名を天下こぞって褒めても
  奢らない」

 「天を相手にせよ 人を相手にするな
  すべてを天のために成せ
  人をとがめず
  ただ自分の 不足を顧みよ」

 末代までも名を残す賢人と、青筋立てて自己弁護を繰り返すこの人間性の違い。
こうした人物が日本の政にかかわっていたことは
歴史に残る「恥」である。

 マスコミも面白おかしく政権交代を取り上げるが、
不安をほじくるのではなく、可能性を期待しなければ
いつまでたっても本当の民主主義は育たない。
 まるで昨今の報道番組をみていると、若い政治が育つことを否定しているようにすら感じる。
 ここぞとばかりにマニフェストの実行力を批判しているが、政権が交代することによって得られる一番のメリットは、「隠されていた膿」が吹き出ることだ。

 企業において人事異動をなぜ繰り返すかというと、「不正や未処理」を未然に防ぐためである。
 これは政治においては最も必要とされる浄化手段であるはずなのに、その期待に触れたコメントは聞かれない。

 アメリカが一斉に警戒するコメントを出した。
 日本が当たり前な国家になろうとしている現れである。
 今までのように占領政策の延長ではいかなくなったから、北朝鮮などを引き合いに出して脅しにかかっているのだ。
 
 アメリカの文化、音楽、映画によって育ってきた世代として、アメリカは永遠の憧れである。アメリカ人の友人も大勢おり、訪米する回数も多い。しかしその政策は黙認することができない。

 若者はミスがあって当然。失敗を繰り返して成長する。
 政党も同じで、ミスを追求してばかりいたら、その目は育たない。

 小沢の影響についてとやかく言われているが、小沢が主導して何が悪いのか?
 個人的には好きではないが、選挙の大勝は「小沢なくして」可能であったかとなると、疑問である。
 誰の影響力が秀でていても、そんなことは関係ない。
 大切なのは、誰が牽引したにしろ、日本が変われるか否かなのだ。


2009年8月26日水曜日

前の衆議院選挙で自民党は勝っていない

 前の衆議院選挙で自民党は大勝したといい、その後二院制を否定するかのごとき行動をとり続けたが、この選挙で自民党は勝っていない。
 勝ったのは「自民党をつぶす」と言った小泉純一郎である。
 その「自民党をつぶす」という言葉に、新たな資本主義政権の出現を期待した有権者が投票したのであり、あの得票数は「自民党よさようなら」という国民の意思表示であった。

 しかし、その小泉純一郎も任期を全うすること無く首相の座を下り、続く阿部や福田など短期で投げ出す首相が続いて、国民は無責任と言った。そしてバカな輩は、もう一度小泉を!と言い出した。小泉なら選挙に勝てると思い込んでいる。
 自民党をぶっ壊すことをうたいあげて集票した人物を自民党の顔にすれば自民党が勝てると短絡に考える者をバカといってなにが悪いのか?

 無責任宰相のトップは小泉なのである。
 自民党をぶっ壊し、新たな資本主義政権の出現を期待した国民の期待を裏切って何の責任も感じていない。
 
 今年の前半は「バカ」がブームだった。
 テレビの高視聴率番組は「バカ」を寄せ集め、その「バカさ」に冷笑した。
 その代表がヒョットコ首相だった。

 ヒョットコが表舞台から去ると同時に「バカ」ブームは消えるだろう。
 やはり人間の魅力は、
 聡明な頭脳と相手を思いやる優しさだからだ。

2009年8月24日月曜日

上杉鷹山に学べ 1

 いよいよ選挙戦も終盤に突入した。
 相変わらずヒョットコは、脅威を感じる政党を批判し続けている。その言い草がフルっている。
 「あの主張はバラ撒きだ、我が党には政策がある」
 このご仁相変わらず顔を出す度に、馬鹿さをさらけ出しているようだ。
 竹下登の1億円から、つい先日の「さもしい給付金」まで、その場限りのバラ撒きしかやってこなかった自分の姿が見えていない。

 自民党、共産党、社民党、民主党etc いずれの党も、党首がしゃしゃり出るとイメージが悪くなる。特に社民党の福島は「自分こそ正義」と思い込み、他人の話を一切聞かない未熟者。
 ま、しょうがないか、彼女は弁護士出身で、弁護士って立場の人はほぼ全員が「自分は正義」と思い込んでいるんだもんネ!


 さて、日本は破綻している。
 この状況から脱却するには本当の行政改革を行う以外あり得ない。
 自民党も民主党も、二言目には「行政改革」とお題目のように口にするが、この言葉の意味が分かっていないのではないかと、疑わざるを得ない。
 信頼がおけるというか、改革を任せたいと思うのは、渡辺喜美ただひとり。
 なぜなら日本の歴史上行政改革を成功させた唯一の為政者、上杉鷹山の視点に似ているからである。

 そこで投票日までに数回に分けて、上杉鷹山の考えと行動を記していく。
 この言動と、今選挙カーから聞こえる声の内容・過去の実績を見比べれば、誰を選べばよいのか、ひとつの判断基準となるだろう。

 17歳の少年が数十年の歳月をかけて改革に取り組み成し得る足跡は、低迷する会社の改革とも十二分に通じるところがある。
 そういえば石川遼クンも17歳だな!
 17歳という多感な世代に与える刺激によって、その人の人生が輝くかくすむか、瀬戸際にあると思える。

 さて、
 以下内村鑑三の記した英文による「代表的日本人」を元に、鈴木範久が和訳し岩波文庫が出版している「代表的日本人」から抜粋引用する。


『上杉鷹山に学べ その1』

 ☆ 内村鑑三は上杉鷹山の功を例えて「治世は力でなく徳で行え」と説く
○ 私どもには進んだ政府機関があるにもかかわらず、天国におよばない点では、10世紀前の祖先の時代と少しも変わりないようにみえます。

○ .....むろん、いかなるかたちでも圧政政治はいけません。しかし投票箱のなかには、およそ圧政政治と名のつくものは全然入る余地がない、などと考えるのは軽率です。

○ 治世は制度ではなく、徳で行わなければなりません。いや、徳がありさえすれば、制度は助けになるどころか、むしろ邪魔であります。「進んだ政府機構」といいましたが、それは人を助けるためではなく、どろぼうを捕らえるためです。思うに代議政体は、一種のすすんだ警察組織です。
 悪党や泥棒はそれでうまく抑えられるが、どんなに大勢の警察をもってしても、ひとりの聖人またはひとりの英雄に代わることはできません。
  
続く

2009年8月21日金曜日

外国語を多用する場合

 日本の言葉は種類の多さで抜きん出ている。
 これは直接的な言い方だけでなく、インを含んだ気持ちを表現できる世界にも類を見ない言語と言える。
 その素晴らしい文化を持つ日本の官庁が公表する文書に、英単語が多用されるようになって久しい。
 
 中国に住む20年来の友人(女性)が寄せる手紙は、日本人以上に日本語の基本に則り、きれいな日本語を、きれいな文字で書いてくる。彼女は30代半ば、日本に留学したことは無い。

 それに反して、日本で生まれ育ち、日本の高等教育を受けてきたであろう官僚たちは、なぜ公用文書にまで外国語を多用するのだろうか。
 60数年アメリカの占領下に等しい状況が続いているからではない。
 そこには「誤摩化し」があるからなのだ。

 言葉の解釈に幾通りもあったのでは、その言葉は信頼されない。
 しかし国の骨幹に関わる問題が表面化すると、為政者は憲法の解釈ですら、「文言で表記されている以外」の捉え方をして自らを正当化(憲法違反ではない)してきた。
 自国語(公用語である日本語)ですら、勝手に解釈をかえてしまうのだ。

 いや
 勝手に解釈を変えているというのは、間違いかも知れない。ならば言い換えよう。官庁には国民が使っている国語辞書とは別の辞書「官庁辞書」があって、それに基づいて解釈しているのだと。
 とすれば、義務教育で行っている国語の勉強は、国が率先して国民に嘘を教えていることになる。

 そうした国の官僚が外国語を挟みこんで声明をだしたり、公式文書を作成するのは、その部分(外国語表記)を国民に知られたくない、すなわち追求された時にどうでも解釈できる言葉を選んでいる。
 言葉の少ない英単語ですら、ひとつの単語で幾つかの意味をもつ場合があるから、国民を誤摩化すには持ってこいの言葉になるのだろう。

 最近やたら耳にするのはマニフェスト。
 日本語で話す日本人が、日本の政治に関わってもらいたい。


2009年8月19日水曜日

井戸塀政治家

 意味も無く、満面笑みを浮かべたポスターが躍る。
 衆議院選挙の立候補者だ。
 今、笑っていられるトキなのか?

 『お願いします」と繰り返す騒音が扉の隙間から部屋に侵入する。
 お願いしたいのは国民のほうだ。


 30数年前韓国ロビーストとして著名な参議院議員がいた。
 議員になる前は産經新聞の政治記者だった。
 記者時代は杉並区和田にある平屋の小さな都営住宅の住民だった。
 ひとり娘はバレリーナで、親交があった。

 その娘からホームパーティへの誘いがあった。
 二期目に入った議員の住まいは、武蔵野・御殿山の高級住宅に移っていた。
 アメリカやイギリスのバレー関係者も参加しているパーティの途中でその娘が声をかけた。

「みなさん庭に出て下さい
 スワンの形をしたシュークリームが飾られていますから
 お好きなものをお食べ下さい
 その中のふたつには
 ダイヤモンドが隠してあります
 注意して食べて下さい」

 これを機会に、この家族の誘いは一切断っている。


 昔は資産家や有力者が政治家になった。
 しかし辞める時には「井戸と塀」しか残っていないと言われた。
 清廉潔白な人物が私財を投げ打って国のために尽くしたのである。

 今は県営住宅から立候補し、引退する時には大御殿に暮らしている。
 これも「金とモノ」にしか価値観を持たなくなった結果なのか。

 どんなに時代が変わろうとも、
小生が憧れ尊敬してやまない政治家は、田中正造(後日記す)ただひとりだ。



 自民党は安全保障の問題とそれに関わるアメリカとの関係を論点としょうとしている。
 ここでもいつものテーマを投げかけよう。
 「忘れることによって失敗は繰り返される」と。
 義和団事件で追求の中心的人物であった、イギリスの総督の日記に残されている。

 「我々が庇護する国が危機にみまわれたならば
  我々は自分の利益を優先する」



 人は自分の目でしか、世の中をみない
 幾つもの目で世の中を見ることのできる人に
 日本の未来を託したい
 

2009年7月16日木曜日

笑劇場ならぬ傷劇場

 なにひとつ笑いを提供すること無く終わった東国原喜劇。

 本業である知事の仕事は副知事に任せっぱなしで、地場産業のセールスマンに徹し、口先だけは誰かの受け売りで政治屋気取り。

 自分が座長となって幕を開けたはよいが、誰も笑ってくれないとなると、芸人師匠にゴマを擦って保護を求める。
 数多いる政治を志す人の中で、芸人を「私の師匠」と公言する者を初めて見た。

 芸人「そのまんま東」ならば、その師匠は芸人でよい。
 しかし知事という公職につきながら、窮地に立つと芸人の師匠の元に馳せ参じるのはいただけない。

 どんな偉そうなことを口にしていても、その言動は芸人の域を出ていない。
 大向こう受けを狙った日頃の言動や、コロコロ変わる態度を見ていると、
切符の売上を気にしながらフアンに媚を売る芸人となんら変わることは無い。

 その脇役を演じた自民党の選対委員長なる人物も、自らの言葉「軽薄な行動を恥じる」を聞くまでもなく、クソ真面目な顔をして観客(選挙民)からひとつの笑いをとることもできなかった。

 どんな政治環境であろうと民間に活力があって、経済が活性しているときならば、人気取りだけを目的に立候補者を決めても、国民にとってはどうでもよいことだったが、
年金等過去すべての政策が禍根を残した日本において、まだ人気取りが選挙に勝つ方法と思っているこの「バカさ」に苦笑しただけ。

 政治家になりきっていない政治屋気取りの宮崎県知事はバカを丸出しにして、全国知事会で提案したが誰も相手にしなかった。
 マスコミに登場する回数が多ければ有名知事と錯覚して、主導権を握ろうと調子に乗る。
 こうした言動を「身の程知らず」という。

 知事としての職責の上で有名になった者(例えば琵琶湖の浄化に尽力した滋賀県知事の武村氏)と、おもしろおかしくテレビに顔を出して知名度があることとは次元が違う。

 バカとは勉強ができないことを指しているのではない。
 「人の想い」が、「自分の姿」が、
見えない人をバカという。

 バカが演じる笑劇ほどつまらない喜劇はない。
 劇場から帰る観客は不愉快なモノを見せられて傷劇となる。


2009年7月1日水曜日

できるかどうかが問題なのではない

 次期衆議院選挙では間違いなく自民党は負けるだろう。

国家財政の支出は歯止めをなくし、目先の保身しか考えず、次世代に負担を残すことを繰り返している国家が存続できる試しがない。


 消費をあおるエコポイントも私は一切利用しない。

 自分が多少得をしても、そのツケは子どもたちの世代にまわされるからである。

 親として最低限努力すべきことは、子どもたちの将来に負担を少なくすることだと思っている。


 自民党と何らかの関係があり、それによって少なからず利益のあった人たちは、野党に政権維持をする能力がないと、口を揃えて危惧する。


 どんなことであっても、どんな立場であっても、経験をするまでは「未経験」なのだ。

 未経験だからといって否定的に考えてしまうと、新たな能力は見いだせない。

 「未経験だからできない」との発言は一見正論に聞こえるが、その裏をかえせば、自分が守ってきた利益がなくなることに不安を抱いているにすぎない。


 その立場になったとき、周りが期待した能力が発揮できないとしても、「だから前の政権がよい」といっていれば、国体は老衰化するだけである。

 新しい政権を育てていくのも、国民の責任ではないか。


 昨今の自民党の言動から、国民の政治は微塵も感じられない。当初はこんな政党ではなかった。

 なぜこんな政党になってしまったのか。


 その理由は一党支配にある。

 長年続いた一党支配は、自民党こそ正義と思い込ませるに十分であった。

 その間違えた正義には、国民の声を聞く姿勢はなく、自分たちの言動すべてが正義と思い込んでいる。

 その思考が国民不在の言動となる。


 一党支配は社会主義体制だけにあるのではない。

 民主主義政権にもあることを見逃してはいけない。


 一党支配の国の末路を幾つも見てきた。

 日本も同じ道を歩んでいる。

 この歩みを止めることができるのは、政権交代以外あり得ない。



2009年6月25日木曜日

ドンキホーテと道化師

 東国原氏の発言が物議を呼んでいる。
 自民党の古賀選対委員長が衆議院選挙の出馬を打診した席で「自民党総裁候補としてなら受けてもよい」と言ったという。
 東国原氏は政治家ではなく平成のドンキホーテと捉えているから、何を発言しようがまともには受け取らないが、道化師(ピエロ)役を務めた古賀氏や仲間の道化師たちはいたくご立腹の様子。
あの憮然とした表情を見る限り、道化師は道化役を演じたのではなく、銀幕のスター(古い言い方だな!でもやっていることが古すぎるから、一番ぴったりとくる表現)と錯覚して口説いたことがうかがえる。

 口説けると思い上がった自民党も、大恥かいてピエロ役。
 その結果を聞いた自民党の総務会長や丁髷議員も、真剣になって怒れば怒るほどピエロになる。

 しかし頂けないのは、それぞれの役者が「ピエロとは何ぞや!」という本筋を知らずに演じてしまったこと。
 ピエロとは人の憂い・哀しみを笑顔で表現する最高のパントマイム演者であって、ピンぼけピエロには苦笑しかできない。

 この話題はこのやり取りが問題なのではない。東国原氏が立候補しようがしまいが、体制に何の影響もない。
 「問題なのは知事を口説いた」ところにある。

 元来知事は、内務省から出向してその役目を果たしていた。中央政府の行政をそのまま遂行する立場にあった。だから地区住民の意向等関係なく、中央政府の意向で知事は入れ替わっていた。しかし今は選挙によって地区住民が選出している。

 その知事に対して住民の意向に関係なく国会への出馬を要請するのは、中央政府においては「地区住民が選出」したという意識がないこと、そして住民の論理よりも政党の論理を優先していることを露呈した。
 これは自民党だけではなく、その他の政党においても言えることである。

 知事側においても同じことがいえる。知事として選ばれその職についた以上、優先すべきは選挙民との約束であり、途中で投げ出して国会へ立候補するのはスジが違う。そうした行動をとる人が当選したとしたら、それは選挙民が無責任なのか、バカなのか、はたまた利権で結びついているのか、いづれにしても無意味な選挙を繰り返していることになる。

 どうも国会に憧れる政治屋が多いらしいが、身の程知らずというか、権威思考というか、よくわかっていないというか、政治手腕がないのを見抜かれまいとするのか、国会議員よりも地方の首長の方がず〜〜っと権力があることがわかっていないらしい。

 どんなドンキホーテでもピエロでも、対外的には大口をたたこうとも、国会内では賛成か反対かで手を挙げるだけ。何の権力も持たない。
 最高権力者と言われる総理大臣であっても、分不相応にその地位に就こうものなら、右往左往するのが関の山。
 しかし地方の首長になると知事でなくても、市長町長であっても、その権力は国会議員の比ではない。

 国会議員から知事になった人は、この「うまみ」がわかっているから、その地位を捨てて再び国会を目指そうとはしない。
 中には滋賀県知事から国会議員になり政党を立ち上げた武村氏のように権力ぼけして知事から国会へいくが、彼は元々自治省の役人。
ドンキホーテを演じている人と同じく、社会音痴で名誉欲の強い成り上がりものと同じ。

 成り上がりを目指すということは、まだ成り上がっていないと認めていることになる。
 絶大な権力の座を与えた県民に対し、これほど失礼な対応はないだろう。

 知事は選挙民が選出し、選挙民に対してはいかなる権力であっても、その決定を無視することができない。
 今回の件を肝に銘じて、成り上がった行動は慎むことだ。

 なんて真剣に言わない方がいいか!
 なんせドンキホーテとはな垂れピエロのやりとりだもんネ!

2009年6月23日火曜日

不要の金喰い

 総務大臣を辞めた鳩山氏の元気が良い。
 人間としての資質の是非はこのさい置いておくとして、彼のあの単純さに拍手を送る。
 「一度は大臣を」と政治屋たちはその機会を狙っているらしいが、様々な作戦があるにしても、あの未練のなさが、したたかで愉快だ。

 大臣と言えば少し前の話になるが、
菅直人氏が厚生大臣だった頃、薬害エイズ訴訟に厚生省が負けたのを受けて、被害者に土下座して謝ったことがあった。
 当時マスコミは潔さを讃え、有権者は「さすが」と拍手を送っていたが、私はあの態度に理解できなかった。
 なぜなら大臣とはどんな立場だと思っているのか疑問を持ったからだ。

 どうも本人もマスコミも、省のトップに君臨するのが大臣、その省の代表であると思っているらしい。

 大臣という表記は大きな臣と書く。「臣」とは部下や家来を表す。「大」とはその代表的立場を表す、
 すなわち、大臣という表記は天皇に対する国民の代表を意味する。

 現憲法下を調べてみたが、第五章「内閣」においても、大臣の仕事についての規定が大まかにしか触れられていないので、きっと明治18年に発布された太政官達第69号の、

 (1) 太政大臣、左右大臣、参議及び各省卿の職制を廃し、新たに内閣総理大臣並びに宮内、外務、内務、大蔵、陸軍、海軍、司法、文部、農商務及び逓信の各大臣を置くこと


を元にして、現憲法に残された職業的特権なのだろう。

 しかしそんなことはどうでもよい。

 いま問題提起しているのは、省を代表する者が大臣であるとの解釈である。


 言葉の意味合いから言えば、国民を代表する立場で省に乗り込み、管理掌握するのが大臣ではないのか。

 本来の意味を知ってか知らずか、それぞれの省にはトップ職として事務次官なる立場がある。事務次官はまぎれもなくそれぞれの省の最高責任者である。

 なのにその省内において、永年に渡って行われてきた不祥事が発覚すると、なぜ大臣が土下座し、辞職しなければならないのか、全く理解できない。


 国民の代表として大臣の地位に就いたならば、その職権でもって省内の不祥事を公のものとすることが、職務の遂行になるのではないか。

 不祥事が発覚したら、大臣は「わしが暴いた」と胸を張ってればよく、事務次官を足下にひれ伏しさせて国民に謝罪させるべきである。


 聞くところによると、民主党が政権を取ったら短期に止めざるを得ないように仕向けると、中央官庁の官僚は言っているらしい。

 彼らはちょぼちょぼと不祥事をさらけ出し、その都度大臣を辞職に追い込み政権そのものが維持できない無能集団との工作をしようとしている。


 省の不祥事をあぶり出せない大臣ならば、必要がない。

 余計な金喰いの特権職なんて権威ばかりで、国会の赤ジュータンよりも意味のないものだ。


 大臣は省の代表者として、省内を守る発言をするものではない。

 それは姑息な事務次官がやること。大臣は省内の不祥事・国民にとっての不利益をさらけ出すのが仕事である。

 なぜなら大臣とは臣(国民)の大(代表)として省を監督する立場にあるからだ。


 今夜国交省の事務次官が「公用車購入談合」で謝罪した。当たり前だ!

 一番談合の多い公共事業の発注元である国交省自体が、OBの渡り先と談合しているようでは何を信じれば良いのか?

 信じるものがバカをみる社会であることを、ことあるごとに官僚は教えてくれる。

 「優秀な人材」と讃えられる官僚がごまかしや嘘をつくことほど嬉しいことはない。

 それは国民の嘘や誤摩化しを奨励してくれているに等しい。


 こんな幸せな国に生まれたことを喜ぼう!

 そしてみんなで誤摩化し、騙し合い、楽しく生きよう!

 人を騙すほど楽しいことはない!!


 

2009年6月22日月曜日

裸の王様

 20年前、中国では天安門事件が起きた。
 中国共産党に反する若者が抗議行動を起こしたとされているが、彼らは共産主義に反対したのではなく、一党独裁政治に反対したのである。
 この事件に対しアメリカや日本は人権侵害だとして見直しを求めているが、我が日本はどうなのだろうか。 

 日本は自由民主主義国家といわれ、自民党が長期政権としてその座に居座っている。
 そしてその立場が危うくなると対抗する勢力に対し官憲に調査を促し、同じような、またはそれ以上の不祥事があるであろう自らを誤摩化し正当化しようとするやり方は、旧ソヴィエトや社会主義政治に数多ある、独裁政治の典型だと気づかないのだ。

 北朝鮮では政権の座を一家族で独占し、今また三代目がその座につこうとしている。
 こうした政権の委譲は民主主義ではないと問題化している日本において、代議士の特権を子どもに譲ることについては、権力者は異論すら受け付けようとしない不思議な感覚。
 これも北朝鮮の政権委譲となんらかわることはないと思うのは、私だけだろうか。

 中国の一党独裁は批判し、北朝鮮の政権委譲も批判しながら、自らはさもあらんと正義面をしていても国民の目にはその独善的な考えが見通せるだろう。


 経済が底をついた、上向いたと報道されているが、これもまもなく行われる選挙に対する現政権側の宣伝であることはここで記すまでもない。
 太平洋戦争中食料や武器の補充がなく逃げ回った前線の兵士を、時の権力は「転戦」と報じて国民を騙し続けた。
 敗戦後日本は「変わった」と言われているが、この64年間、国民を騙し続ける姿勢はなんら変わっていない。

 長年進められていた移民政策も、官僚と手を組んだ移民業者が国民を騙して海外に放り出したまま無責任を決め込み、昨年違約を訴えた被害者に対しても、官僚はまともにその非を認めようとはしない。

 バブル経済の破綻から2年が経過した頃、経済企画庁は船田長官の言葉をして「経済は底をついた。これから順調に回復する」と言わしめた。この言葉を信じたバカというか真面目な新卒者は「来年になれば思い通りの就職ができる」と就職浪人を決め込んだ。しかし現実は毎年悪化する一方で、彼らは就職の機会を失ってしまった。
 その時代に騙された人たちが「フリーター」の言葉で象徴される人たちである。

 「フリーターが日本の将来を危うくしている」とまことしやかに口にする官僚や政治屋たちは、自らの嘘がその骨幹にあることに気づいていないのか、気づくほど利口ではないのかもしれない。はたまたどんなことにも、責任は自分にあらずと決め込んでいるのか。

 昨年の4月、時の官房長官は「車が減れば地球温暖化に貢献できる」ともっともらしい言い訳をして、車の暫定税率の課税期間を延長した。それから1年も経たない今年の初春には新しい官房長官が「高速道路の料金を安くするからどんどん走ってくれ」という。
 なんなんだ、この節操のなさは!

 これだけ度々騙され続けていると、どんなバカな国民でもその嘘を見抜くだろう。
 政治屋や官僚がまだ国民を騙し続けられると思っているとしたら、一番バカなのは権力者だといえる。

 官僚の待遇改革を進めると「優秀な人が集まってこない」と、発言をした政治屋がいたが、「優秀な人材」とは、何に対して優秀なのか理解に苦しむ。
今までの例を振り返れば、「国民を騙す術に優れている」「自らの利権を守る術に優れている」。こんな人材は優秀なのではなくて、国を破綻させる売国奴に等しい。

 嘘に長けた権力者に教えてあげよう。
 経済は当面良くなることはない。経済は供給と消費のバランスが保たれたとき発展する。消費力が弱まり続けていて、底をつくことはない。

 こうした発言を繰り返す権力者を「裸の王様」という。
 自らの姿が見えない哀れな人間ということだ
 本当の自由民主主義とは何なのか、独裁主義とは、権力委譲とは....。
 本来の意味をはき違えて正当化しているつもりでも、国民は冷静に見極めている。

 日本の自由民主主義を破壊したのは自民党である。