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2010年7月18日日曜日

エコカー補助は何のための補助金か

車にはエコカー補助とエコポイントが補助金として用意されている
このエコカー補助は今年の9月末で期限切れとなる

家電から始まったエコポイントによる販売促進に車が加えられたのは
たしか自民党政権のとき金融危機で車の売れ行きがストップし
期間労働者の解雇が相次いだ時に
車の販売台数を伸ばし
自動車製造会社の経営を応援することによって
解雇された労働者を再雇用する土壌を作るのが目的ではなかったのか

国際的に約束したCo2の削減を目的に加えたのは
民主党政権になってからだったはず

この目論みは成功し
車の販売は目標数値をクリアした

しかし「ちょっと待てよ」だ!
この購入補助金は税金から支出されている
税金によって車の販売が援助されたのだ

なのに春には
日産のゴーン社長の年収8億円が話題になった
本人は国際的には高くないとミエを切った
しかしこの業績回復には国債によって補われた税金が使われている

ゴーンが就任して以来数万人の従業員が職を失い
在籍しているものですら減給されたまま

業績が回復したのならば
ゴーンが8億の報酬を得る前に
エコポイントの目的に則り
解雇したまま未だ職のない人たちを
雇用するのがスジのはずなのに
どのマスコミもそれに触れることはなく
ただ報酬が安い/高いだけを論じていた

マスメディアも国民も
何故国債を増額してまで購入の支援金を出しているのか
再確認する必要がある
きっと
期限切れ間際になると
車関係から期限延長の声があがるだろう

それを見越してこの件に言及する

東芝や愛媛の造船所、長崎の造船所などを立て直した
土光氏は
再建を請け負った段階で
食事は一汁一菜それにメザシ3つに甘んじて
従業員と同じ報酬でがんばったという

2010年7月9日金曜日

還付加算金

 きょうは少し色合いの違った話をしよう。
 あなたは「還付加算金」というありがたい言葉を聞いたことがあるだろうか?

 事業所を経営しながらその他の仕事をしているため
毎年新年を迎えると確定申告の準備に入る。

事業所を経営していると毎年7月と1月は従業員に支払っている給与の源泉税を納付する。
そして決算月の翌月には一年分の消費税を納付する。
その間にやれ自動車税だ、都市民税だ、法人都市民税だ、となんだかんだと納税ばかりしている気分だ。
そして納付が1ヵ月以上遅れると督促状が届く。
そして延滞金が加算されてくる。

やれやれまったく嫌になるな.....と思っていた。

昨年の確定申告も毎年と同じように
開始と同時に郵送で済ませているので
いつもならば3月の中旬には源泉還付金が振り込まれてくるのに
今年は4月になっても何の音沙汰もなし。

こちらからせっつくのも、余計な話になると面倒だからと
そのままにしておいた。

そして5月が過ぎ6月に入っても何も連絡がないので
こちらから所轄の税務署へ電話で確認してみると
お客様のご住所を教えてくださいと言われた。
税務署に「お客様」と言われるのはなんとも落ち着かない。

そして折り返し電話が架かり、
「必要書類が足りないので更生手続きに来てください」とのこと。
手続きを済ませたが、それからまたしばらく音沙汰なし。

また電話で「更生手続きは通ったのか否か聞いてみると、
「お客様へ折り返し連絡を入れます」ときた。
毎度毎度お客様呼ばわりは、本当に気恥ずかしい。

そして「15日に更生手続きはOKになっていますのでしばらくお待ちください」とのこと。

6月末になっても還付の振込通知は届かず、とうとう7月になった。

徴収する時は一日遅れても追徴金を請求されるのに、
還付の時はどんどん先送りするとはけしからん!
ダメ元だから還付延滞金を請求してやろうと考えていた矢先、
やっときょう、税務署から「国税還付金振込通知書」なるありがたい書簡が届いた。

中を確認してみると、更生手続きによって把握している還付金よりも多い金額が刻印されている。
その頭には「還付加算金」と書かれていた。
なんとその金額は還付金の1.3%にもなるのだ。

そこで税務署に「還付加算金」とは何ぞやと確認してみた。

「お客様にお戻しする期間が延びたための金利だと理解してください」とのこと。
そして
「今年の確定申告で「雑所得」に入れてください」と言われた。

還付延滞金を請求しようと振り上げた手は、どこへおろせばよいのか.......


こんなにたくさんの金利を付けてくれるなら、1年先でも良かったのに...と電話を切ってから「お客様」は独り言!

2010年7月3日土曜日

相撲とNHK

相撲の世界では勝負の勝ち負けに金が賭けられている。
これは公然の行いとして行なわれてきた。
懸賞金の名目で勝ち名乗りを上げた者が土俵上で受け取っている。
胴元は分け前を受け取る協会である。
こうした中で暮らしている者は、金をかけて遊ぶことを悪いとは思わない。
土俵の上であろうが遊びであろうが、勝った者が儲け、負けた者は支払うのが常識となっている。
だからいくら追求されようとも、金をかけて遊ぶことを悪いとは思わず、協会もはっきりした断罪を下そうとはしないのだ。
ま、期待する方が間違っている。
相撲界にいれば、理事長以下全員何らかの形で手を染めているのだから。

事なかれ主義のNHKは名古屋場所を中継する是非を国民に問うた。自分で判断することを逃げるNHKらしい処し方だ。60%以上が中継に反対したらしい。
こんな当たり前のことも「皆様のNHK」は判断できずに、まだ結論を先延ばしにしている。


中継の是非を問うた結果を聞いた協会の理事は、
「高齢の祖父が寂しがるから中継を止めないでくれ」という投書がきたと話し、涙顔を演じてみせた。
場所の中止を迫られた別の理事は、
「多くの人たちがかかわっておりその家族の生活に影響する」から開催をしたいと言った。

よくもこれだけ無責任なずるい考えが浮ぶものだ。
「視聴者」やかかわる人の「家族」を思いやるなら賭博やバクチは「やってはいけないこと」。

やってはいけないことを「視聴者」や「家族の生活」を無視して何十年も続け、バレたからと言って今さら第三者を思いやる素振りをするとは、チャンチャラおかしいのは通り過ぎて腹が立つ。
こういうのを「浅知恵」という。


昔から、相撲の興行に地元のやくざはつきもの。
今更のように、ヤクザとの関係をとやかくいうのは偽善的。

野球賭博の胴元がヤクザだというのが理由で、不承不承に処分したり中継の是非を問うのも偽善的。

宝くじのように胴元が自治体で集めた金で私服を肥やしている官僚のほうが、よほどあくどく社会のダニといえる。
なぜって?
ヤクザは「悪」を売り物にして悪銭を稼ぐ正直者だが、官僚は「正義」を売り物にして悪銭を稼ぐ極悪人だからだ。


文部科学省も「国技を守る」という偽善をやめて助成金を廃止することだ。
甘やかすとろくな人間にならないのは、今も昔も同じこと。

力士を立ち直らせるのは先ず、懸賞金を廃止すること。
そして賭博に無駄金を使わないよう報酬を会社員並みにすること。
そして浮いた資金で、引退後の力士の生活を保障することだろう。

また何より、中学を卒業してから花札賭博の中で暮らして成長し、一般社会の常識やしきたりを理解していない連中が集まっている協会を解体することである。

NHKもそろそろ、自分で是非をはっきりとする大人になったほうが良い。
あ、NHKも「甘やかされているろくでもないモノ」の代表格だった!

2009年11月12日木曜日

タバコ税

 民主党が政権を取りどのように変革が始まるか、ブログを更新せずにしばらく様子をみていた。
 ことの是非はさておいて、政治が変わろうとしていることは実感する。しかし予算の削減もほどほどにして増税を口にするのは努力が足りない。

 そのやり玉にあがったのがタバコである。
 元々タバコには税金がかけられていなかった。しかし明治政府は日清戦争の戦費を捻出するためにタバコや味噌など、庶民の嗜好品に課税したのである。
 タバコ税は今で言う期限立法として、戦費調達を目的としたのである。
 しかし日清戦争が終結しても課税は廃止することなく、まもなく始まった日露戦争の軍事費としてその税は課税され続けた。

 今でもそうだが、一度国会を通ってしまえば後は知らぬ間に期限延長を繰り返し、期限切れを理由に課税が廃止されたことはないが、タバコ税に関しても同じように意味もなく課税され続け、課税されて当然のような意識すら生まれてしまってきた。

 ことあるごとにタバコと酒は増税の対象として取りざたされるが、この2品目は似ているようで実は顧客が相反する立場にいる。
 酒は貧乏人も金持ちも好むが、貧乏人と金持ちとは飲酒する種類が明確にわかれている。しかしタバコは金持ちと貧乏人との品に大幅な格差はなく、喫煙者の割合はセレブよりも庶民の方が圧倒的に多い。
 ということは、タバコ増税は不況で生活苦に追い込まれている人の最期の楽しみも与えない政策だといえる。

 健康のためといかにも増税ではなく国民の健康を気遣っているようなマヤカシの言葉が耳障りだ。
 健康で長生きを願っているならば、長生きできる生活を保障する年金の支給を誤摩化さずにすることの方が先決。
 
 やるべきことを誤摩化しつつ、長生きされると保障がついていかない財政から老人が住みにくい社会を構築しつつ、「国民の健康」を口にするとはおこがましい。

 20年前、タバコの売上は3兆円あった。税金が約70%だから、2兆1千億円の税収が確保されていた。しかし禁煙運動の影響で売上は落ち続け、今では2兆円の売上で1兆4千億円の税収になってしまった。
 それを国民を誤摩化して倍の価格で販売すれば、また税収が戻るであろうと目論んでいるらしい。まさに机上の空論とはこのことである。

 私は喫煙者だが、喫煙者であっても他人の煙は好きではない。
 まして非喫煙者ならば、余計嫌なものであることはよくわかる。これは礼儀作法の問題で、タバコの売価を上げれば煙の害が少なくなるというものではない。

 みんな本筋から目を背けて、誤摩化しの手法を正当化しようとする。

 日本人の多くは今や、収入も減り食事にも事欠いている貧乏人が大半を占めている。
 その国民のささやかな楽しみを奪う事なかれ!

 長生きすればするほど生きづらい社会を放っておいて、健康を願っているフリをするな。
 本心は生産力ではなくなった高齢者は早く社会から消えて欲しいと思っていることぐらい、官僚より頭の良い庶民は察しがついている。
 早く死にたくて身体に悪いと諌めているタバコを100本口にくわえても、自殺はできない。
 車の排気管は、1本くわえるだけでおサラバできる。

 タバコの害を訴えている官庁の周りには、官僚が乗っている車が何百本も、
 排気管からガスを吐き出している。

 
合掌!

2009年9月9日水曜日

いやしき沈黙

 民主党はアメリカ一辺倒ではなく、近隣との友好を外交の柱にしようとしている。
 「遠くの親戚より近くの他人」というが、近隣諸国は肉体的にみて「近くの親戚」であることは間違いない。
 敗戦後64年間、日本はアメリカの占領下にあり続けてきた。
 政権交代によって、やっと独立国家を目指すことができるのだろう。外交の基本は敵対するのではなく「対等」であるべきだからだ。

 近隣諸国と仲睦まじくしてこられなかった理由は、戦争にあった。
 敗戦によって孤立化した日本の弱みに付け込んで、アメリカがチョコレートとチューインガムと一緒に「優しい言葉」を投げかけ、日本は孤立化した不安から自分を誤摩化すために、その言葉を後ろ盾にして、国際社会で存在価値を築こうと、なりふり構わずアメリカに媚を売り続けてきた。
 民主党政権の追求を待つまでもなく、「非核三原則」の誤摩化しも、知る人ぞ知る周知の事実である。これもアメリカに媚を売ってきた一つなのだ。
 この件に関して言えば一番の問題は、国民を誤摩化し、世界を誤摩化しながら、「非核三原則」に貢献したとしてノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作の存在である。

 世間を誤摩化しながら、いかにも「平和の使者」と振る舞った佐藤栄作にたいし、厚顔無恥な嘘つきとして大いなる恥を感じる。遺族はノーベル賞の返還を申し出ることが多少の罪滅ぼしといえる。

 権力者は国民を騙し、利用し続けてきたのだ。


 NHKテレビが3回にわたり、水交会(旧日本海軍の親睦団体)の反省会(戦争の原因、責任を話し合う)における記録テープを公開・検証した。
 出席者は将・佐クラスなど軍令部のトップや、その周りにいた人たちで、この反省会は131回にわたって開かれている。

 私は敗戦処理で、どうも腑に落ちないことが幾つかあった。
 それは、
 極東軍事裁判で絞首刑になったのは陸軍だけで海軍関係者が一人もいないことと、B・C級戦犯(命令に従い実行した者/A級戦犯は命令者や作戦責任者)として死刑になった人が多すぎることであった。

 その疑問がこの反省会の記録テープから明らかになった。
 そこには、
 海軍のトップが責任を陸軍に押し付けたことやその手法、前線における事件は上層部が指示していないことにするための証拠隠滅方法などが、こと細やかに証言されていた。
 またその誤摩化しを裏付ける証拠の文書も見つかっていた。
 敗戦後責任逃れを目論んだ海軍の主導部は、前線における事件はすべて当事者が勝手におこなったこと、特攻隊は命令したことはなく、すべて隊員が自発的に行ったと、否定したことが記録に残されている。

例えば、
 水戸海軍少将は捕虜の虐殺を口頭で指示したが現地の責任者が「そんな重大なことは文書がないと実行できないと拒否した。そこで渋々命令書を作成して実行させたことが軍事裁判で審理された。
 出席した水戸少将は「これは誰かの偽造である」と反論し、自らは逃れ、命令に従った兵士が死刑になった。
 「あれは水戸少将の偽証である」と裁判での作戦を担当した元大佐の証言 等々。

 私はB・C級戦犯として処刑された多くの人たち、また特攻隊員として死に赴かされた少年たち多くの、最後に残した手紙(遺書)を見ている。
 軍令部の幹部が責任を逃れ、生き残るために彼らは騙された。
 反省会に出席して過去を暴いた指導部にいた連中はみな、90前後まで生きている。

 軍関係者や政治家が靖国の森に参詣するのは、騙した若者に対する罪滅ぼしなのか。

 この反省会の記録テープで新たな事件を知った。
 中国さんとう島(香港の南側に位置する)に日本軍が航空基地をつくるとき、邪魔だと言って島民約1万8千人を虐殺したという。この事件は知らなかった。
 その現場に立ち会った大井元大佐の証言は生々しく、死臭が画面から漂う気配すら感じた。

 出席者の一人は言った、
 「なぜ日本人があそこまで残虐になれたのか
  戦争とは恐ろしい」

 「戦争の事実を語ってはいけないと
  箝口令が敷かれていた
  それを守ってきたこの半世紀の沈黙は
  いやしき沈黙であった」

 そのいやしき沈黙が破られた今、日本はアメリカの占領政策から脱却しようとしている。


2009年8月24日月曜日

犯人は学校

 また名古屋でいじめを苦にして中学生が自殺した。
 灯油を被っての焼身自殺である。
 遺書から、いじめを苦にしての自殺であることがわかった。

 しかし、学校は記者会見で、
「いじめを受けていたという事実は現段階では把握していない」と発言した。
しかし昨年11月頃、少年の母親から相談を受けた学校は調査した結果、嫌がらせを受けていたことを把握している。

 毎回いじめで子どもが死ぬ度に、学校は責任逃れのために場当たり的な嘘をいう。

 今回の記者会見での発言には、ふたつの「教師の資質に欠ける」部分がある。
 まず、「把握していない」というのが正しかったら、学校における監督責任を追求しなければならない。
 学校は校門で世間と仕切られ、保護者ですらも勝手に立ち入ることはできない。
 そうした状況下でありながら、なぜ子どもを学校に預けているのかといえば、教師が責任を持って監督・保護を行うと信じているからだ。

 その保護者の信頼を裏切って平気な言葉が「把握していない」。
 ならどんな目で、校内を管理しているんだ!

 昨年嫌がらせを受けていたことを知りながら「いじめの事実は把握していない」と発言するのは、いじめた学生に対し「君たちの行為はいじめじゃないよ」と認知していることになる。
 何度も何度も、毎年毎年、学校関係者は
こうしていじめの行為者に対して「いじめじゃないよ」と認知を繰り返してきた。
 学校関係者だけでなく教育委員会も文部省も、いじめを認めないということは、その行為自体をいじめではないと認知していることになる。

 こんな繰り返しでいじめがなくなる訳が無い。
 自分さえ良ければという「事なかれ主義」が
 また幼い命を無駄にしてしまった。

 少子化対策で金をまくより、今ある命を守ることを
真摯に考え行動に移さないと、
幾ら税金使って赤ん坊を増やしても、何の意味も成さない。

 「夢のある将来」
 「希望を持って」
 若者を叱咤激励する言葉は巷に氾濫する。
 どんな言葉をかけるより、
事実を誤摩化さない大人が増えることが、若者に希望を持たせるのではないか。

 相変わらずの教育関係者の対応に
ヤジろべ〜は怒っている!!

2009年8月22日土曜日

なぜ不安になるのですか?

 どこの講演会でも最初に問いかけることがある。
 それは、
「みなさん不安ですか?
 なぜ不安になっているのですか?」

 すべての人が先の見えない状況に不安を抱いている。
 不安を抱くと、心に大きな隙間が生じる。
 その隙間を狙って、よからぬ輩が入り込もうとする。
 それは、
宗教団体であったり、占い師であったり、一発儲けに誘う詐欺集団であったりするのだが、政治のキャッチフレーズも、国民の不安につけ込んでその感情を煽り続ける。

 なぜ不安になるのか。
 その答えは簡単で、「今が守れなくなるかも知れない」と思うからだ。
 乗っている車、勤めている会社、家族の笑顔....それらを失うかも知れないと思うから不安になる。

 なくなればまた一からやり直せばよいと開き直ったとき、不安はなくなる。
 どんなモノでも元々はなかった。
 すべてをなくしたとしても、それ以上なくなるモノはない。
 守ろうとする意思が、すべてをダメにしてしまう。

 無くすのが怖いって?
 日本は過去、すべてをなくした時があった。
 64年前の8月15日だ。
 すべてのものがなくなり焼け野原に立った人たちは、今よりももっと明るい顔をしていた。
なまじっか幾ばくかのモノをもった時点で笑顔が消えたのだ。

 守ろうとしなければ、騙されることもない。
 不安がなくなれば、
言葉の、表情の、文章の、
真実が見えてくる。

 何よりも、
笑顔が戻ってくる。
笑顔はマイナスの要因を寄せ付けない最高の鎧となって、
身を守ってくれる。

 不安顔の人は騙しやすいが、笑顔でいる人を騙すことはできない。

 自分を守るため、不安をなくそう。
 大いなる希望を持って開き直ろう。
 それは、
「今」を守る考えを捨てることによって、誰にでもできる。

 不安がなくなると笑顔が戻る
 どんな人でも笑顔は素晴らしい

 素晴らしい笑顔で、日本を埋め尽くそう

 「嘘で固めた選挙公約」は立ち入る隙がなくなってしまう 

2009年8月21日金曜日

真面目さはいらないのか

 巷では弱小企業の後継者不足が大きな問題となっている。
 ある日テレビで事業を引き継いだ2代目を特集していた。
 彼は親父との会話を思い出しながら話しだした。
 「事業がうまくいかなくなったとき
  冗談まじりに親父に言ったんです
  宝くじでも当たれば窮地を脱せるのにね」
 「親父は血相変えて言いました」
 「事業の運営にばくちを口にするのは
  もってのほか」

 番組がきれてコマーシャルになった。
 画面には俳優とお笑いタレントが大写しになり
 宝くじの宣伝が始まった。

 テレビのコマーシャルを見ていると、FXなどゼロサムゲームへの誘いやパチンコや宝くじ、競馬や競輪、競艇、そして銀行系高利金融の宣伝が大勢を占める。
 こんな国が他にあったら教えて欲しい。

 バクチを公認しているアメリカですら、バクチの広告は規制されている。
 「公共の電波」と言われる放送で、
 宝くじなどあてにせず真面目に働けと諌めた番組のスポンサーは、宝くじ。

バクチを奨励していると思わざるを得ない国の国民が、
真面目さは「カッコ悪い」と思うようになり、短絡的に自己の欲望を追求するようになっても当然の報いと言えるだろう。

この国の病原菌は根が深い。

 時代遅れといわれても
 この言葉が好きだ

 「耕して天に至る」

2009年8月13日木曜日

夏が消えた

 8月7日、東京の三鷹〜八王子を結ぶバイパス「東八道路」を 東から西に向かって走っていた
 多摩霊園の手前には 左右に大きな森林公園がある

 ちょうどそこに差し掛かったときであった
 道の正面に入道雲が見えた

 入道雲を背景に 左右に分かれた森を結ぶ歩道橋を
虫取網を肩にして 少年が歩いている

 夏の風景である

 天候不順だった今年は 梅雨明けの晴れ間も少なく
初めて出会った夏景色だった

 この風景少し前までは ごく当たり前のように
どこでも見られた
 なぜ今
こんなに懐かしく微笑ましく感じるのか

 ゲームや塾通いで
子どもたちが町から消え
日本の風景から 夏が消えた


 数日前から蝉が一斉になきだした
 台風一過のわずかな夏に 自分の存在を示すかのごとく
その声は地上にこだまする

 蝉には順番があり
その声の移り変わりで季節の変わり目を感じるのだ

 梅雨が明けると同時に
一段と強まった日差しを木陰にまで運んでくるのが
ジージーとなくアブラゼミやミンミンゼミ

 この声を聞くと いやでも真夏の訪れを意識する

 立秋を過ぎると ジージーとなく声に混ざって
日差しが陰る夕方には
ツクツクホーシ ツクツクホーシと
ツクツクホーシがなきだし 夏休みの終わりを告げる

 ツクツクホーシがなきだすと
子どもたちは日焼けした身体で机に向かい
一斉に夏休みの宿題に取りかかる
 
 昔から変わりない 風景だった

 ツクツクホーシの声が弱まったころの夕方
もの悲しい声が木々を渡る
カナカナがなきだす頃になると
夕方の風は秋を運んでくる
 夕焼けは落ち着いた赤さになり
木々が夏の輝きを無くす



しかし
数日前から一斉になきだした蝉には
時間の流れを教えてくれる順番がなくなってしまった
 ミンミンとツクツクとカナカナが
一斉になきだしたのだ

 そういえば今年は
夏らしい夏日が続くこともない

 温暖化で地球自体の温度が上がり続ける一方で
母なる太陽は活動を弱め
 地球は小氷河期を迎えるという

 聞き流している蝉の声も
夏と秋が混同している

日本の風景から夏が消えていく..........

2009年8月9日日曜日

覚せい剤

 アメリカの麻薬取り締まり当局は、アジアで一番大きな麻薬マーケットは日本と認知した。
 酒井法子関連の容疑も根が深いとみる。
 芸能界と麻薬の関係は何度検挙されても途絶えることはない。

 麻薬は人生をダメにするが、日本が国家として麻薬を利用した時期がある。
 それは戦争中であった。
 前回、「忘れることによって繰り返される」と記したが、歴史も忘れることによって繰り返され、忘れることによって正当化する風潮も芽生える。
 日本軍が麻薬を利用し、それによって多くの若者が死に赴いたことを忘れてはならない。

 敗戦間際、特攻隊に出撃する恐怖を払拭するために、隊員の少年たちに使われた。
 特攻隊の少年たちの追い込まれた本当の姿は、木村拓哉が映画で演じたようなきれいなものではなかった。

 出撃してそのまま死に赴いた人たちは、幸せだったかも知れない。
 それはそのチャンスが与えられなかった若者の「その後」の人生に対しての対比である。

 特攻隊員として出撃基地に集められた彼らは、その恐怖から逃れる手段として、麻薬/ヒロポンが注射された。
 出撃せずに敗戦を迎えた隊員たちは、仲間が死んで行ったにも関わらず自分が生き残っていることに自責の念を持つと同時に、正直「助かった」と思ったことだろう。
 しかし彼らは、敗戦の翌日から犯罪者扱いされたのだ。
 それは麻薬患者としてである。

 昨日まで神と崇められた少年たちは「特攻隊崩れ」と蔑まれ、ヒロポン中毒のまま社会に放り出された。
 そこから抜け出せた人も多かったが、麻薬中毒患者となり、闇ルートから手に入れて抜けきれずに廃人になって行った人たちも多かった。

 当時のニュース映画を見ると、食料統制で手に入らなくなった食料(今の北朝鮮と同じ)を、法律を犯して入手しようとする人たち(闇米運び屋と言われた)を取り締まる警察の記録ばかりだが、その裏で警察はヒロポン患者の取り締まりに躍起になっていた。

 私も幼少時に、自宅に身を寄せていた元特攻隊員がヒロポンを使用しているとのたれ込みを受けて、警察が家宅捜査にきたことを覚えている。

 自らの意思ではなく国の方針で患者にされたものに対しては、こうして犯罪者としての追求が続けられた、
 しかし、
 それを仕向けた軍部関係者に、犯罪者としての追求がなされたことはない。


 蛇足だが、
 浜松(特攻隊の訓練基地があった)に大きなやくざ組織があった。
 ここの親分は、そうした特攻隊崩れの少年たちに、生きるチャンスを与えた人だと聞いている。


 

2009年8月2日日曜日

ことば

 言葉があることによって
 自分の思いを伝えることができ
 相手の思いを知ることが できる

 しかし言葉は
 誤摩化しを伝えることも できる

 人と人との関係に
 言葉が無かったとしたら
 誤摩化すことは できない

 まだ外国人が自由に国内を散策することができなかったころ、私は中国の片田舎を歩いていた。共産主義を否定する私に偶然にもできた中国政府高官の友人による取り計らいであった。

 暑いので駄菓子屋のような店に入り、日本語で「ジュースちょうだい」と語りかけながら、ショーケースの中にあったジュースの瓶を自分で取り出した。
 空いている方の手で小銭を握りながら、また日本語で「幾ら?」と問いかけると、店の女主人は小銭から代金を取った。

 店の外の柳の木の下には縁台が置かれ、若い女性2名と初老の男性が座っていた。私はその前に立ち、また日本語で「私も座らせてよ」と言ったら、横へつめて隙間をつくってくれた。
 それから小1時間、共通の言語を持たない彼らと私は、会話を楽しんだのである。

 もちろん私は最後まで日本語以外使わないし、彼らは北京語以外話さない。
 しかし互いに、
 「こいつは悪いやつじゃない」と理解し合っていた。
 ポケットから取り出して勧めてくれるひまわりの種も美味しく頂いた。
 
 1+1=2と言ったような明確な会話は無くても、互いに心を通じ合うことはできた。
 その、
心の交流には誤摩化しがないから、友人となることができたのだ。


 まもなく衆議院選挙とやらで、互いが自分の正当性を「言葉」で訴えている。
 言葉が多くなればなるほど、そこには誤摩化しが生まれる。

 誠意には言葉はいらない。
 

 多くの国で違った言語を使っているのも、互いの言葉を理解するためではなく、
心で会話することを神様は願っているからではないか。

 なぜならそこには「誤摩化し」がなく、誠意でつながる地球社会ができる可能性があるからである。


2009年7月30日木曜日

100年に一度の大不況とは何ぞや

 昨年の世界的金融危機から、政府は100年に一度の大不況という。
 その不況も、底が見えた、もう大丈夫という。
 何かおかしくないだろうか?

 歴史年表を100年遡ってみよう。
 100年遡る途中、82年前の1927年には、「ブラックマンデー」ニューヨーク発の世界大恐慌があることに気づかないか?
 100年ということは82年前も含まれているのだ。

 100年に一度の大不況というのは、いつものごとく政府による言葉の誤摩化しに過ぎない。
 100年に一度ということは、「世界大恐慌以上の不況ですよ」といっていることになる。

 この大不況が政府の言う小手先だけのバラマキ政策で改善されることはなく、自民党の悪賢い選挙に向かっての国民騙しにすぎない。

 世界大恐慌から脱皮できたのは世界大戦であった。
 今この状況から抜け出せるのは、やはり「戦争しか無い」と考えている国がある。
 それはアメリカ。
 アフガニスタンやイランでは戦火が大きくならず、目論みが果たせない。
 そこで発火点は朝鮮半島を想定(期待)。

 北朝鮮がミサイルを発射しようが核を開発しようが、中途半端な態度を取っている理由はここにあり。
 アメリカにしてみれば早く、北朝鮮が戦闘行為に踏み切るのを待っている。
 よしんばミサイルを発射してもアメリカ本土に到達することはないと見ており、せいぜい朝鮮半島や日本が火の海になるくらいだと判断している。
 北朝鮮が戦闘行為に踏み切ったら、これ幸いとアメリカは第三次世界大戦へと突き進むだろう。

 中国が北朝鮮に同情的に見えるのは同盟国だからではない。
 今や中国の同盟国はアメリカである。

 中国が北朝鮮に正面切って制裁に踏み切らないのは、戦争になった場合国境から流れ込む北朝鮮側の難民に警戒しているからに他ならない。

 100年に一度の不況とやらに騙され、夏祭りに浮かれている間に、不況克服作戦は静々と進められている。

産めや増やせや/戦争中か!

 自民も民主もマニフェストを公表した。
 その中で目立つのは少子化対策である。
 これらの政策はまるで国民に「産めや増やせや」と子どもの増産を迫っている感がある。
 この言葉、どこかで聞いた覚えは無いか?
 そう、戦争中に唱えられたスローガンだ。

 戦争中は国民は武器、弾に等しく、戦死者が増えて兵力が劣ると見るや、国を挙げての大合唱となった。
 若く逞しい青年が戦地へ赴いており、残されていたのは子どもと老人ばかり。(いや権力者の子息は意識的に兵役不適格となって残っていた)
 老人や子どもを相手に「産めや増やせや」と号令をかけて、セックスを強要したのだから、これは拷問に等しい。
 戦地に赴いていた若者は食料不足の中進軍を強要されていたのだから、国内に残された老人や子どもに、拷問に近い行為を強要したとしても「前線に比べれば」との逃げ口上があったのかも知れない。

 さて、今記したように戦争中は兵器の一部として人間の増産があったが、21世紀の平和な(一見)日本において、なぜ今「産めや増やせや」と国が音頭をとっているのか。

 それは少子化によって税収等国民負担が減るためである。
 端的に言えば、
 「税金を徴収する頭数を増やせ、さもないとお前たちに負担をかぶせて増税するぞ」と脅しているのだ。

 なぜ税収が減ると困るのか。
 それは現状が維持できなくなるからである。
 じつはこの考えに、今社会が陥っている不況による不安の骨幹があるのだ。

 それは「現状を保ちたい」との欲によって悩みが大きくなっている。
 「現状」それは今の収入であり、生活、車、仕事などが保てなくなると思って不安に陥っているのである。
 国家はその不安を解消するために「増税」という一番手っ取り早い手法をとる。


 このままでは日本の総人口が8千万人前後になる危険があり、そうなれば国体を維持できないと政府は考えている。
 何とも不思議な発想だ! というよりも、この言葉で国民を誤摩化そうとしている。

 過去日本の歴史を振り返ってみよう。日本の総人口が8千万人しかいなかった時代がなかったのか? あった、いやそれよりもす〜っと少ない時代があった。
 ではその時に日本という国は存在できなかったのか?
 いやいや立派に国家は存在した。

 ならば、なぜ少子化すると国体が保てなくなるというのか?
 それは今の状況「無駄な道路建設」「無駄な官僚の渡り」「無駄な箱もの」など、国を弱体化させている官僚や政治屋の「無駄遣い」ができなくなるからだ。

 戦争中を例に出すまでもなく、国民は国家に利用されてきた。
 今また利用されようとしている。

 余計な予算を組むことはすなわち将来へ借金を残すことになる。
 子どもたちの出産、成長にお金をばらまくことは、彼らに「生まれながらの借金」を背負わすことになる。
 目先の損得だけで動かされるのは、そろそろ卒業して欲しい。

 少子化の結果国民が減ったら、その国民の数にあった政治をやれば良いだけのこと。
 おたおた、あたかも危機を迎えるがごとき言動は、考慮・配慮の無い馬鹿の振る舞いに等しい。

 中国嵩山少林寺に籠っていたとき、方丈に教えられた。
 人が苦しみ悩むのは欲を持つからである
 欲をなくすと悩みから救われる
 私が話している欲とは、性欲、食欲、物欲ではない
 これらの欲は人間が進化していくために必要なもの
 無くすべき欲は、
 「今を保とうとする」ことである
 
 元々ゼロから生まれてゼロに還る
 無くて元々、流れに逆らっては苦しむだけである

 事業の経営者が苦しんでいるのも、不況が続けば「今が保てない(倒産・廃業)」と思うからであって、「なくなれば無い」生き方をすれば、何も苦しむことはない。


 国家たるもの、自然の摂理に逆らってはいけない。
 自然の摂理に法って国家を経営してこそ、国民は幸せになれるのである。


  

2009年7月25日土曜日

バカは死ななきゃ治らないってか!

 昨日記したヒョットコが、7月25日横浜の青年商工会議所でまた性懲りも無く、アホ丸出しの発言をした。
 本人は議員懇談会で自らの発言の至らなさを詫び、おかめが同調して、共にお神楽を舞ったことを「猿芝居」と記したが、この発言を聞くとヒョットコご仁は自ら口にした「発言の至らなさ」とは何を指しているのかわからずに、誰かが書き上げた原稿を暗記して口にしただけ。

 青年商工会議所へは自民党への支援を頼みにいったらしいが、その席で、
「高齢者は働くことしか才能が無い」とのたまった。

 どうしてこうした国民を愚弄した言葉がすらすらと口から出るのだろう。
 アホと言ってしまえばそれまで。

 議員懇談会で口にも無い言葉を口にしたヒョットコに対して、同席していたオカメ連中が直ぐに追求の手を引っ込めたから、ヒョットコは「自分の発言はたいしたことはない」と罪の意識を持たないから同じことを繰り返す。
 これは以前記した「苛めがなくならない理由」と同じ構造である。

 24日深夜には「朝までテレビ」に出席した各党代表が無駄なエネルギーを使い続けた。
 あんなピンぼけな発言を繰り返すのに浪費される電気を、危険と隣り合わせに設置されている原子力発電の電力を消費されたのでは、誰がエネルギーを節約する気になるだろうか。

 自民党は過去4年間の実績を自慢するが、前回の選挙のときに国民と約束したことがどれだけ守れたかについては一切触れず、民主党のふがいなさばかり追求する。
 また民主党は、自民党や公明党が各種政策が経済の底打ちに貢献した(実際は何の意味もなしていない=下げ止めにはなっていない)と自慢していても、その費用がいかに次の世代に禍根を残すことになっているのか、追求どころか触れることもしない。

 共産党や社民党に至っては、風呂の中で屁をこいたような話ばかり。

 そして夜が明けたら、ヒョットコがまた「減らず口」。


 今夜は隅田川や立川昭和公園の花火大会。
 ヒョットコが馬鹿にする高齢者が能力を傾けて貢献してきたお陰で、
焼夷弾に輝いた同じ空で、花火が楽しめることを忘れてはならない。

あ、きっとヒョットコは高齢者に
「これ以上働くな!あとの生活は年金で面倒見る」と、言ってくれたんだな。
ヒョットコはいつも言葉が足らず誤解を招いているが、
きっとそうなんだ!

 高齢者諸君! よかったね!!

2009年7月24日金曜日

ヒョットコ

 ピ〜ヒャラ ピ〜ヒャラ
 テンツク テンツク
 おかめとヒョットコの
 お神楽の 始まりだい

 と、夏祭り真っ盛り。
 祭りは庶民の憂さ晴らしから 始まった。

 永田町ではヒョットコが、手ぬぐい冠るのを忘れて、素顔を出してひと踊り。
 ま、あの面(めん)てい見れば、お面も手ぬぐいもいらないだろう。
 よくもあれほどひょっとこ面(づら)したもんだときた。

 おかめは山形や広島出身で、手踊りには慣れていないので、今ひとつ盛り上がりには欠けるが、同じ舞台でひと踊り。
 囃子方は笛や太鼓の腕は無く、口三味線で「一致団結」と囃し立て、白々しい不協和音だけが響き渡る。

 ヒョットコとは火吹男と書く。
 自ら付けた種火を大きくするには、もってこいの人材といえる。
 吹けど踊らず...ではなかった、ヒョットコが吹けど火の手が大きく上がることはないとタカを括(くく)っていた町人は急いで消火作業にあたったが、消したと思ったらまた別の場所から煙がたち、気がつけば火の手で町が二つに分断され互いに責任のなすり付け合い。

 追い込まれたヒョットコは心にも無いことを口にして反省の体(てい)。
それを見ていた町人は「ソイヤ、ソイヤ」と囃し立て、その音頭に乗っておかめが登場!!
 そして言ってくれたネ
 「今日のヒョットコは素晴らしい」

 なんだこの猿芝居は!
 日光の猿芝居だってもっと真面目に観客の心をつかみ涙を絞る。

 猿にも劣る猿芝居を演じて、自己満足しているこのバカ面(づら)ども。

 開いた口が塞がらないとはこのことだ。

 これほど選挙民をバカにした一幕は、神代の昔まで歴史をさかのぼってもないだろう。


 一体何のための選挙を行うのか、ヒョットコに聞きたい。
 ヒョットコの言動には、仲間に対する形式的な謝罪はあっても、国民に対する謝罪は一言もなかった。

 こんなバカな政治屋集団に期待するバカがいる。
 「民主党に一度やらしてみても良いと思うけど
  できるかどうか心配だから
  やっぱり自民党を応援するわ」

 何ができるか不安なのか?
 自分たちの「地盤」「看板」を守ることができないかも知れないと言っているのか?
 バカにはバカの上をいくバカがいる。

 なんてね!
 真剣に腹を立てると、こちとらが身体を悪くするわな!

 そういえば最近ちょっと高血圧気味。
 うっかり病気にもなれないわな、たらい回しでこの世とおさらばおさらば。

 いやその方が幸せだよって、永田町のヒョットコは教えてくれているのかも知れない。



 祭り囃子が遠くに聞こえる。
 小さな子どもが山車の上で、面白おかしく振りをする。

 

2009年7月19日日曜日

我らが手本

 迷える国民に生き方を教えてくれていた国のリーダーが、まもなく去る。
 国のリーダーたる者、国民にその生き方の見本とならなければならない。

 近年稀にみる自己欲の強いリーダーが国民に教えてくれた生き方は、「反省はするな」「自己を正当化しろ」であった。
 これほど我らの倫理に反する生き方を教えてくれたリーダーが、短期で去ることは残念だ。官僚は今までの言動に輪をかけて自己を正当化し、それが正しいことを身を以て教えてくれていたリーダーが変わることに、大きな不安を抱いていることだろう。

 我々平民も、やっと自分の言動を正当化する手法を身につけ、これから様々な悪事に手をつけようと企てていた矢先、そのお手本が消えてしまうのは不安である。

 山本五十六の「男の生き方」ではなく漫画本を手にし、スラックスの裾には重しを入れてカッコばかり気にして中身は無くてもよいことを教えてくれた結果、それを手本としてカッコだけで中身が空っぽの若者が巷にあふれている。
 彼らにとっても世間的評価が変わることに不安を持ち、リーダーがそのままリーダーでいることを望んでいる。
 それを政治家として人気があると、はき違えるアホな政治屋が消えるのは残念!

 「反省」という言葉も思考もないリーダーが辞めるのは
それを手本にしたかった善良な国民にとって、これほど悲しいことは無い。
もう少し続けてくれていたなら、子殺し、親殺し、通り魔殺人、放火、強盗の蔓延した腐りきった社会の中で、「自分の正当性」が主張できたのに残念!

 いや、そんなに心配することはない、
取り締まるべき警察は万引きや痴漢、以前にはパトカーに乗って制服のまま、意にならない女性を撃ち殺しに行ったこともあった。
こうした事件はまず隠し、発覚したら「知らなかった」としらを切る。
 彼らは自らの身を挺して、国民に生き方を教えてくれている。

 使い込みが発覚した公務員も返済すればお咎めなし。盗みで捕まったら、盗んだものを返して言おう「公務員は発覚したときに返せばお咎めなしだ」と。
 こうした言い訳を教えてくれていたのだから、無駄にしては彼らに失礼だ。

 裁判官も税務署の職員も痴漢や万引きを繰り返し、国民が裁判や脱税した時の「反論」を用意してくれる。

 子どもの教育機関と勝手に思っている学校では、苛めが発覚しても苛めは無かったとコメントし、訴えている学生には素知らぬ顔。
 この「なかった」との一言で、いじめていた人は正当化される。
 「あれは苛めじゃなかったんだ」
 
 この繰り返しで苛めが正当化されて、苛めがなくなるわけがない。なんせ、その行為は苛めじゃないんだから。

 子どもの教育を自負する学校が、こうやって社会への誤摩化し方を教えてくれる。
 子どもたちは幾何学なんぞよりよほどこうした授業の方が面白いから、吸収もはやく、こうやって社会で生き残る手法を身につけてさせてくれる。
 素晴らしい学校教育、万歳だ。


 まだまだこの国は捨てたものではない。

 そういえば今のリーダーはキャンキャンよく騒ぐな
 まるでスピッツみたいだ

 犬は自信の無い臆病な小型犬ほど
 よく吠える!

2009年7月10日金曜日

漆黒の闇

 温暖化対策の具体案は提示されることなく、サミットが終わった。
 オバマ大統領はアメリカの間違いを認めたが、利益を追い求める諸国の賛同は得られなかった。

 結局は欲の皮の突っ張り合いと、どこかの首相のように自分の立場をカッコ付けようとした軽薄者の集まりでしかなく、国民・地球人無視の3日間だったと言える。

 数ヶ月前に日本の月探査機「かぐや」が月から見た「地球の出」の映像を送ってきた。
 漆黒の闇の中に、青く輝く地球が顔をのぞかせる瞬間、その闇は光を受ける。

 青く輝く夏の空を眺め、
 輝く自然を眺めながら、
 その外側は漆黒の闇だと意識する人は皆無に等しい。
 しかし
 地球が昼であろうと夜であろうと、
 地球を取り巻く薄皮の外は、
 漆黒の闇なのだ。

 月から眺めた「地球の出」の映像を見た時、
 どうしてこんな小さな星の中で、核だ内乱だ、儲けた、損したと争っているのが馬鹿げてみえた。

 どんな権力を持とうが利益を得ようが、この宇宙の時間の中では
ほんの一瞬の出来事でしかない。
 その一瞬の出来事の繰り返しによって、半恒久的な地球が輝きを無くしてしまう日は近い。


 宇宙には数えきれない星が在る。
 その中で生き物が暮らすのは地球だけだというのは、思い上がりにも等しいと思う。
 数多あってしかるべきだ。
 しかし我々が知る限り、
 身を焦がすことなく、漆黒の闇の中で青く輝いている星は地球だけである。

 このような利欲を突っ張り合っていると、
 近い将来、地球も沈黙の星となる。

 漆黒の闇を漂う地球星を見つけた他星人は言うだろう。
 この星にも生き物のいた気配があると.............。

2009年7月7日火曜日

ボランティア

 神奈川の独居老人家庭の安否をたずねて、巡回するボランティアグループが演劇によって趣旨を訴え仲間を集めていることをテレビが特集した。
 いかにも善意の集団のように聞こえるが、何か腑に落ちない。

 加入している商工団体からボランティア活動に参加するよう求められた。
 「ボランティアって何をするのですか?」
 「朝早く起きて町の掃除をしたり
  寝たきり老人を入浴させたり.....」
 「そんな活動はボランティア活動ではない
  そうした活動は役所の仕事
  役所の仕事をみんながやるから
  彼らは動かなくなる
  ボランティアとして社会活動をするというなら
  やるべきことは
  役所へ出向いて雑談に講じている者をみつけ
  首根っこを掴まえて町の掃除に出向かせること
  それならば
  ボランティア活動として意義がある」
 と言った。

本当のボランティア活動とは、「やるべき立場」の人がやることを手伝うのではなく、
役所のできないことをやることだ。


 数年前アメリカの地方空港で便を待っていたときのことだった。
 数人の高校生らしい女子のグループが入ってきて
プラカードの準備を始めた。

 どうやら私が乗ろうとしている飛行機で野球のチームが到着するらしく、
彼女たちはそのチームのサポーターであることがわかった。

 まもなく飛行機は到着し乗客が降りてきた。
彼女たちは歓声をあげてチームを迎え始めた。
 チームの最初に出てきたのはダウン症の少年たちであった。
 しかし彼女たちは少年の後に続く選手と同じ歓迎を、少年たちにも与えていた。

 このシーンを見た時「これが本当のボランティア活動だ」と思った。

 それはダウン症の少年たちに対するサポーターの対応ではない。
 チームが自分たちの一員として、障害のある子どもたちを加えていることに対してである。

 健常でない者にとって一番の憧れはスポーツ選手である。
 チームのメンバーに加えて一緒に行動することは、何にも勝る子どもたちへの励ましになる。
 これは役所ではできない。

 日本ではプロチームの、どこがこうした心ある活動をしているだろうか。
 チャリティと名打って集めた金を寄付しているのは聞いたことがある。
 しかし障害を持つ子どもたちは「何に幸せを感じるか」考えていない。

 冒頭の独居老人家庭を巡回するのも役所の仕事である。
 役所の福祉課へ出向いて様子を見てみるがよい。
 彼らほど時間を持て余している連中も珍しい。

 相談がくると福祉事務所へ連絡する以外仕事らしい仕事をやっていない。
 一般の市民がボランティアという的外れの活動をすればするほど、
 彼らは時間を持て余す。

 本当のボランティア活動とは
役所ではできない活動を続けることである。


2009年7月5日日曜日

余計なお世話

 選挙に向けて「資金的ゆとりがなくても希望者は全員大学に進学できる制度をつくる」ようアホウ総理じゃなかった、麻生総理は官房に指示したという。

 家庭経済が破綻して進学を取りやめた高・大学生が数万人でたときですら、政治は見てみぬ振りをしていた。
 国民のおかれた立場が見えず、自分の足下ばかり気にしていると、付け焼き刃的制度の大盤振る舞いとなる。
 セフティネットの各種制度、エコポイント制度、どれをとっても「人気取り」に終始し、国民の将来にどんな禍根を残そうともおかまいなし。

 こうした制度によって人気が戻ったと錯覚するご仁を「裸の王様」という。

 バブル破綻で、年間47千人と一気に増えた自殺者も、少し落ち着いて30,000〜35,000人で推移して約20年が経過した。
 30,000人以上とは市制の最低人口だ。
 毎年小さな市が消えていることになる。
 20年この状態が続いているということは、120万都市ひとつ消えているのと同じなのだ。

 なのに政治屋たちには将来的な計画がなく、官僚たちは保身しか考えていない。

 知事になる前に国政に色気を出し、自民党ににじり寄って袖にされ、方向転換して知事に当選した地鶏とマンゴーのセールスマンに、人気挽回に利用できると察すると、恥も外聞もなく色目を使い、待ってましたとばかりその誘いに乗るような人たち。
 口にしている言葉が空々しい。

 政敵のあら探しばかりにご執心で、国会を会期まで開催しようとする連中は、次回の選挙で落選させればよい。なぜなら国会とは何をすべきところかわかってないからだ。

 国民の生活を守る討論をするのではなく、仲間同士でののしり合うために1日数億円の無駄遣いをすることがおかしいと理解していない。
 そんなことに時間を費やすならば、自分たちのどこが悪いのか、「自己反省」をするべき。

 高齢化社会到来といいながら、高齢者が安心できる環境ができていない。
 年金制度でも嘘の上塗りを繰り返してきた。

 年金で生きられないこんな人生は嫌だと、入院をきっかけに安楽死を申し出ると、法規制によって断られる。死ぬこともできない。
 自殺をしようと思っても罪人扱いされ、残された家族が惨めな思いをする。

 表面、
 長生きをするように医療制度を整え、長寿を祝う素振りをしながら、生きるだけの年金の支払いはない。
 生きるに生きられず、死ぬに死ねないこの不思議な国日本。

 生き地獄とは、この国に暮らす高齢者の、5年後の有様とみる。

 一見善良面をした法律は必要ない。
 心のない決まりなんて、余計なお世話。

 高齢者といわれる人たちは、いまあなたが立っているその日本の土台を作る貢献をしてきた人たち。
 その土台に立って、築き上げた人たちを弄ぶと、必ずそのしっぺ返しがくる。

 それは、そうした対応を見ている次世代が、
「自分たちはそうした扱いを受けまい」と、社会全体のことではなく「自分だけ」のことしか考えなくなるようになり、社会が崩壊することによってである。

 もうその兆候は現実となってきた。
 政治屋がその先鞭を切っているから間違いないだろう。
 自分のことだけ考えて心にもないことを口にしても、聞いてるものは耳を塞ぐ、
 「余計なお世話」。

2009年7月3日金曜日

医者のことば

 友人Aさんが余命数ヶ月と 医者から宣告された
 しかしAさんには食欲があった

 奥さんが看病にいく度に 「うなぎが食べたい」「寿司が食べたい」という
 奥さんは少しの余命 願いを叶えてあげたいと
その欲求に応え続けた

 2ヶ月が経過した
 Aさんは「病人食は嫌だ 家に帰りたいと告げた
 奥さんは「最後は家で」とつれて帰った

 半年が経過した
 Aさんは仕事に復帰した
 医者は言った
 「私の見立てが間違っていたのではなく
  薬が合ったのだ」


 友人Bさんは ある朝起きようとして
突然激しいめまいと吐き気で動けなくなった
 救急車で運び込まれた病院の医師は
 「この病気は原因不明で治りません」
 と告げた

 Bさんは脱サラしたばかりで 家庭にはダウン症の息子がいた
 息子の将来のために金を残す手段として
自殺を考えた

 投身しようと病院の屋上に向かうが
身体が思うように動かない
 這いずりながら やっと屋上へ出る扉までたどり着いた
 そこには鍵が掛かっていた

 病室に戻る途中で
すれ違った見舞客が教えてくれた
 「その病気を治す先生が
  埼玉大学病院にいますよ」

 Bさんは転院を申し出 埼玉大学病院へ入院した

 4ヶ月後退院し
事業は中堅規模まで成長している


 私は10数年前 難病宣言を受けた
 全身の表皮が落ちて 生皮状態になっていた
 まるで「お化け」
 生きる意欲をなくした
 当然のように自殺を考えた
 外見上症状が抑えられているのは
中国の医師が教えてくれた治療法のお陰だ

 今は某大学病院の治験患者となりながら
治療法を見つける協力をしている


 医者の言葉は重い
 「治らない」と言われれば 失望するのは当然である

 しかしかいかぶってはいけない
 医者も神様ではなく 職業なのだ
 
 私は自らの体験や友人たちの体験から
 医者の言葉の捉え方を変えた

 医者が「治らない」といったら
 それは
 「私では治せない」と告白していることであると

 ガンが発病して死に赴く大きな原因は
「もうおしまいだ」とあきらめる本人の気持ちと
抗がん剤にあるといわれる

 病が悪化すると
医者は必ず「余命○○日」と絶望の言葉を告げるが
どんな言葉を聞いても その後に付け足すことだ

「だけど本人の生きようとする想いが
 何ヶ月でも何年でも症状の悪化を押さえることができる
 だから希望を持って努力しよう」


羨望とは うらやましい望みと書く
希望とは かすかな望みと書く
絶望とは 望みがとだえたと書く

待望とは 望みが叶えられるのを 待つと書く